30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

We are the 99%。転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

2012年08月

福島の子どもたちへ 学級からの手紙


「愛知に来てくれてありがとう」

こう言いながら、同じ学級、3年生からのメッセージを渡したのが、Aさん。

何と言うだろうか、と思って見ていた。

何か、一言言うんだよ、と事前に言ってあった。
あまりスピーチや意見を言うのが、得意ではないAさん。続きを読む

「疲れたよ」という子どもにどう言うか


「先生~、つかれた~」

そうじのあとや、授業のあとや、なんだかんだと、いろいろな出来事があるたびに私に話しかけてくる子なのですが、ともかく、話しかけるたびに、

「せんせい~、疲れた~」

と言ってくるのです。
こういうとき、根掘り葉掘り聞き直すと、まるで尋問みたいになって、子どももキツイでしょうから、尋問はしません。
それでも、こちらの姿勢としては、彼の言動や顔の表情や所作に、アンテナを敏感に向けておきます。

「へえ、疲れたの。あらまあ」

くらいが、そのときのセリフです。
もしその後、

「先生、つかれた~。だから、宿題半分にして~」

という場合は、おそらく前半の「疲れた」というくだりはあまり重要でなく、ともかく宿題をやるエネルギーがない、やる気がない、つまり、やりたくない、という意思の表明でありましょう。

その言葉にしたがって、

「はい、宿題半分にしてあげるよ」

と教師が言ったら、たぶんその子は、むちゃくちゃ元気になりますね。
それで、

「うまくいった!!おれが、疲れた、と言ったら、先生、俺の言うことききよったわ!!」

と表情まで明るくなることでしょう。

そういうような、まちがった取引手段として、「疲れた」という言葉を使わせないために、そういう取引には応じません。
(でも、また別のロジックがあって、本当に体調まで影響のある場合は、もちろん宿題なんてやる必要ないですが、それはまた別の話です。)

そもそも、疲れた、ということに気付いている、メタ認知できている、ということはかなりすごい。そのことは、これからの人生にとって大変なプラスである。
まったく疲れを知らずに突っ走って、とつぜん倒れる、ということだってあろうから、休み休み、事業を推進していく、というのはこれからの人生をおくる上でも、大事な処し方です。

そう考えると、「疲れた」は、まったく厄介なことではなく、むしろ、

「ああ、そう。いいねえ。じゃ、少し休憩して、またチャレンジね。」

というだけでよい、ということになる。

むしろ、教師の側は、あっさりしている方がいい。
そして、信頼して、待っている姿勢くらいでちょうどいい。
そのうちに、疲れた、といわなくなるかも。


しかし、また一つ、別の視点がある。
それは、本当に疲れた、という状況である。
なにかを、子ども心に、訴えたい、というとき。
ストレートに言えずに、なにかをオブラートに包んで、「疲れた」とだけ言っている、ということがある。

1学期に「疲れた」を頻発していた子は、父親が野球のコーチ。本人もがんばって土日はかかさず家族で野球三昧、という一家の子です。しかし、あまりにもそれがキツいらしく、本音を言えばちょっと休みたかったのかもしれません。夏休み中、大事な試合の前に、熱を出して、結局、その試合には出られなかったそうです。

夏休み。
静かな学校に、たまーに、忘れ物をとりにきたり、宿題のプリントがない、というので取りに来る子がいます。
その子も、夏休みに忘れ物、というので学校へ来て、ちょこっとその話をしてくれたのですが、

「ぼく、試合はでれんかった。熱がでたで」

という子の顔が、なんとも複雑で、こちらも気分が複雑になりました。

あとでその話を電話でしてくださった母親が、ちゃんと分かっていて、

「ちょっとやらせすぎたかもしれないです。ちょっと休憩も要りますね」

と言ってらしたので、ああ、そういう視点がきちんともてるお母様で、助かったな、と思いました。




子は親の言うことを聞かぬもの


今週のお題「私のふるさと」

夏休みなので、ジイジとバアバの家へ行ってまいります。
息子も、すでにそのためのスタンバイ状態。
何をして遊ぶか、など、着実に計画をしておる。
(といってもジイジの家のゲームが楽しみ、というだけ)

ところで、自分の両親に迷惑をかけなかった子はいないと思うが、兄弟のうちで一番心配をかけたのが自分だと思う。
姉に聞くと、
「私が一番だという気もするが、やっぱりあんたかもね」
と言っている。

親に心配をかけてはいけない、というニュアンスは、常識観念に照らして、とても世の中に強く流布していると思う。
しかし、逆に、親にこそ心配をかけるべき、というニュアンスも同時にまたあって、それもまあ、常識のようである。

親は、子どもに心配を<かけられる>のが、一番の幸せであろう。
「子どもの心配ができない親」は、さびしいもの。
「子どもを心配できる幸福」が、親にはある。


家庭訪問でも、個人面談でも、お家での様子はいかかですか、と尋ねると、

「うちの子は、本当に手がかからなくて」

という親は、一瞬、常識的に笑顔で話す。

しかしその後、ちょっと、さびしい顔にもどる。
心の内では、それがいかにさみしいことなのか、ちゃんと感じとっておられるのだろうな、と見ていて思うのだ。


とくに進路については、親の意見などまったく役に立たぬ。
うちの子を見ていても、この子を「落語家」にしたい、という夢はあるが、それでも心のどこかで、

「勝手に好きな道に行くのだろうな」

とあきらめている。
だから、
「落語家になってほしい!」
と<言う>ことはできても、強要はできまい。
親の自由は、希望を伝える、ということだけ。
あとはジャンジャンと、柳家小三冶とか、春風亭柳昇とか、CDを聞かせることくらいかな・・・。
寝しなの物語りに、日本の昔話を志ん生風に語るとか、そんな姑息な「すりこみ」が、親としてのせめてもの取り組みで、それ以上の押し付けはできまい。
なんてったって、自分はまったく親の意見など聞かなかったのだから。

その、まったく意見を聞かない私に向かって、ジイジとバアバは

「まったく、親の意見を聞かんもんだで・・・。墓石の前で親の意見を聞きたくても、もう遅いでね」

と名古屋弁で言っていた。おそらく同じセリフを私もまた、くりかえし、自分の息子に言うことになるだろう。

で、それを言いながら、

「ああ、自分の親も、同じことを俺に言っておったわい」と感慨深く、遠くの空を見てみるような気がする。

そして、自分のやりたいようにやってきた半生を振り返り、そのことの幸福と、親がそれでも自分を捨てなかった、という幸福を、二重にかみしめることになるのだろう。

お盆に帰省することになる多くの家庭で、なにかしら、そういう親と子と孫の、微妙な<出会い>があるのだと思うと、ちょっと日本中がふしぎな空気に包まれるような気がする。




ついに、S子が体育の授業を受ける! その後


ついに、S子が体育の授業を受ける!



上記を書いたのは、もうずいぶん前になる。1年5カ月も前のことだ。
その後、この内容について、反応があった。
「S子さんと周囲の関係の変化、先生の手だて」について、リクエストが来たのだ。

ちなみに、現状を言うと、中学校へ進学したS子さんは、そのまま情緒障害学級へ入級。
今は支援級全体のリーダーとして成長も見せているとのこと。
中学の先生は「ほめて、ほめて、教えて、ほめて」で、S子さんにできうる限りの情報を、早め早めに伝えながら、そのための準備をしようとするS子さんをほめまくっている、という。

いいなあ、と思いました。

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