30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

We are the 99%。転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

2011年11月

TPPのかけ声も勇ましく


「どんぐりと山猫」で、宮澤賢治がどんぐりにしゃべらせて、

頭の丸いのがいちばんだよ
いいや、とがっているのがいいんだ
ちがうよ、大きいのだよ、大きいのがなんといってもえらいんだ

といってケンカさせますが、政論のほとんどがそんな感じです。
TPPも、

「前に進むのがいいにきまってる!鎖国するのはダメ!」
と、いさましい気分で盛り上がっている方に、どうやら軍パイがあがりそうで、
「いやあ、用心した方が・・・やめといた方が・・・」
と、消極微温的な方は、なんだか気分的にもりあがらない。

でも、こればかりは、論をはっている人の顔つきや盛り上がった気分で決めちゃダメですわね。

積極的な撤退、積極的な不採用、というのがあってもいいはずですが、だいたいはそうならない。
学校でも、いったんはじまったイベントが、いつまでもくりかえし行われている。
もう必要ないのではないか、という案がでると、

「そんな消極的なことはよくない」

という気分の意見が出て、結局つづけることになってしまう。
こういうことは本当に多い。
音楽会の後に学芸会を連続してやることになってしまっている学校があり、そこの先生たちがなんとかしてこれをやめよう、と運動をしているのに、保護者の意見が強くて(というより保護者にいい顔をしたい校長がいるため)、ものすごい負担を子どもに強いて、両方をやっているそうです。
それも、ほとんど間なしで。

子どもの負担は考慮されないのです。
特に発達障害を抱えた子たちが、非日常のサイクルにまきこまれ、いかに不安定な心境になっていくのか、だれも考慮しません。
自閉症傾向の子たちが、荒れるのは、大体、こういった行事のときなのです。続きを読む

まともな社会生活スキルを実行したくなる動機づけ


とにかく反社会的に見える、自閉症児の行動。
やっちゃいけない、と伝えているのに、次の日にはまた同じことを繰り返している。
たとえば、給食袋が廊下のフックにかけてある。
教室の前の廊下。
給食袋は、そのクラスの子どもたちのもちものだ。

これを、たまたま通りかかった自閉症(AS)の子が、汽笛のまねをしながら、のばしたうでのさきにすべてひっかけて歩きながら、すべて落としてしまう。
バタバタバタバタ!!!!連続した音とともに、フックにかかっていた白い袋はすべて落ちてしまう。

彼によると、白い袋があっちむいたりこっちむいたりして、雑然と並んでいるのは、いやなんだ、と・・・。(大人が意訳するとこういうことらしい)

でも、白い袋は、けっこうきれいにならんでいるのですよ。
見た目は、とてもきれいに、きちんとフックにどれもかかっていて、ひもの長さも同じようだし、みんなだいたい同じ高さにかかっていて、ちっとも雑然、というのでなく、むしろ整然としているのに・・・。

これはこっちの世界の見方でしかない。
ASの彼には、耐えがたい乱雑さであり、許せない。壁に穴でもあいていて、すきまなくぴったりと埋め込まれているようであれば納得するのかしら・・・。

で、こういう反社会的な行動をとってしまう彼に、
「やっちゃいけません」
は効果があるようで、ない。
短期的には、ある。
こわい顔をして叱られるといや、という感触はあるようだ。
でも、それはちっともわかっていない。
で、翌日も同じことをくりかえす。で、叱られる。

こういった非・社会的な行動を禁止したり制止したりして減らすことにエネルギーをかけるよりも、のぞましい社会生活スキルをふやし、相手とコミュニケーションをとりながら暮らす、行動することで、自己理解を高めていこう、というのが本筋だ。

さて、白衣の袋を落としてしまう子。

「本当はこんなこと、やりたいとは思っていないんでしょう」

といって、さっさと拾いはじめる先生がいて、だんだんとおさまったそうです。
廊下を歩きたくなった時、ちょっと我慢してみよう、と思ったら、髪の毛をさわる。
それを先生が見ていて、ニコニコしながらオッケーと言ってくれる。
思わずやってしまったときも、途中で思い出したら、髪の毛をさわる。
ふりかえると先生がいて、ニコニコしながらオッケーと言ってくれる。

で、

「悪いなー、ひろってあげようかなーって、本当は思っているよな」

と先生がいうと、なんとはなしに、先生と一緒にひろっている、のだそうです。




「まだ、まにあうのなら」 甘蔗珠恵子さんの手紙


地湧社のブックレット、増刊号として出たもの。
もともと1987年に出版された本の、改訂版が出た。
1987年といえば、あのチェルノブイリからそれほど経っていない年。
「放射能汚染」や「ザ・デイ・アフター」という言葉に恐怖を覚えていた小学生のころだ。

それが、また今回の放射能汚染でもって、ふたたび出版された。
これを近所のおばちゃんから
「先生、こんなのをもらったから、読んでおくれ」
と、もらった。

そのおばちゃんも、別のおばちゃんからもらったらしく、どうやら読みまわされた揚句、わたしのところへ届いたシロモノらしい。
(どうやらそういった社会派のネットワークがあるようだ)

で、出会って読んでみたら、なんとなつかしい。
我が家に、どうやら同じ本があったことを思い出した。
母親が生協の食品を購入していた関係で、原発の資料はたくさんあった家であったが、おそらくこれもあった。なぜそれを思い出したかと言うと、姉といっしょにスパゲッティのことをしらべたからであります。わたしが小学校6年生の時。

なぜ、スパゲティが安いのか。
当時、スパゲティが急激に安くなっていた時期があるのですよ。1988年くらいかな。
一袋が激安価格の20円か30円くらい。大量にスーパーで出されていて、不思議に思った。
それを、夏休みの自由研究か何かで、姉がしらべていて、いっしょに私もなんとなくその話を聞いていた。(その研究はおそらく、小学校の担任の先生の指導があってだろう・・・)

結果、日本は放射能のチェックなどを消費者も厚生省もやらないから、ベクレルの高いスパゲティが欧米の国内では消費されず、ヨーロッパをめぐって日本に送られた、ということであった。結局チェックの甘い日本を、汚染食品を売りさばく市場として選んだのだ。

・・・悲しかった。


で、きちんとそのことが、載ってました。すごい記憶力だ。
たしか、スパゲティのことが載っているはず、と思ったら、やはり、P15に載ってました。
われながら、よく覚えていたなあ・・・。
当時のスパゲティ、なーんと、100ベクレルを超える値のものが、スーパーに出回っていたそうです。そんなん、しらんがな。今とちがって、線量計をみんながもっている時代じゃないから・・・。
あの当時、安いから、とスパゲティ、食べちゃった人、・・・(*_*)


科学雑誌ニュートンの編集長をされていた竹内均さん。
島根大学の大学祭で講演によばれたとき、
「この松江にほど近い港町にも原発がありますが、だいじょうぶですか」
と質問が出たのに答えて、
「いや、ソ連のはお粗末な炉であって、あんなチェルノブイリのような事故は日本ではおきようがないのです」
と説明しておられましたな。竹内さん、亡くなっていらっしゃいますが、天国でこの失言を悔やんでいらっしゃるでしょう。日本でも、メルトダウンが起きてしまいましたから・・・。


それと同じことが、この「まだ、まにあうのなら」には書かれている。

P19。
スリーマイルのとき、アメリカの事故を批判して、ソ連の政府報道官は
「あんな米国のような欠陥炉で起きた事故が、わが国の優秀な炉ではおきようがない」
と豪語したそうです。
しかし、残念なことに、ソ連でも起きてはならない事が起きてしまった。
メルトダウン。おきようのないことだったはずが。

次にソ連のチェルノブイリのとき、事故を批判して、日本の竹内さんは
「あんなずさんな炉で起きた炉心溶融事故なんて、わが国では起きようがない」
と発言。
しかし、また残念なことに、日本で事故は起きてしまった。
炉の型がちがうから、日本では決して事故なんて起こらないはずだったのに・・・。


で、これで終わらないのですよ。

今回のフクシマのメルトダウン事故を聞いて、韓国の科学者が、
「日本のような地震多発国家ではありうるかもしれないが、我が国のハイレベルな炉では耐震設計もハイレベルで、事故はおきようがない」
と言ったそうです。

韓国なら大丈夫。きっと。たぶん。おそらく。
だいじょうぶじゃないのかなあ・・・と思うけど。



ま、いずれにしても、機械は故障するもの。
人は、時に、信じられないミスをするもの。
天災は、時に、信じられないくらい大規模に起きるもの。

でも、こんな暗~い話をどうやって子どもたちにしたらいいんだろう。
今年、教育の現場で、ぜったいにしなければいけない話題ですよね。
スルーしてはいけない問題です。


現場の教師は、ひそかに悩んでいますよ。
野田佳彦総理、ちょっとはこの小学校教師の気持ち、わかって。




教師のつぶやき術


つぶやく先生。
窓の外をみながら、

「今日は、さむいかねえ」

この一言で、子どもは、

「あ、長袖着て行こうかな」

と自己判断する。

これが、

「寒いから、長袖着て行きなさいよ」

と教えると、

高学年なんかでは、

「ウゼエ」

と思われてしまうのであろう。


ともあれ、つぶやくことで、いろんなことが解決する。
これが、教師の「つぶやき」作戦である。

プロ野球の野村監督は、いろいろとボヤくことがうまいが、ああしてボヤくのは、教える、教え込む、というイメージとはちがうから、相対している選手たちは、「考えるようになる」のだ、となにかに書いてあった。

なるほど、と思う。
わたしも、せいぜいつぶやいたり、ボヤいたりしよう、と思う。


わがクラス、ストーブが解禁されたので、毎日つけている。
先生!寒いし!つけて!
というコールが毎朝起きるから、つけている。
ま、実際、寒い。朝、室内なのに 10度くらいしかない。

ある日のこと。
朝からつけているし、あったかいからもういいな、と思って・・・

「のどいたいわ。ストーブばっかりつけてると、乾燥するからかもしれんな・・・」

とつぶやいてみました。


「先生!」

(お、ストーブ消す気分になってくれたんカナ・・)

「なんや?」

「のどいたいなら、のどあめ、なめれば!」






ということがほとんどですが・・・。




きみはいいね を いかに伝えるか


セラピーではなく、必要なのはサポート。
セラピーとサポートはちがう。
それを他の人に説明できるくらい、わかっているかどうか。
どうだろう。

うつ等、カウンセリングやセラピーを必要とする子は、知的障害・情緒障害をかかえる子どもの中のたった2割らしい。その他の8割は、セラピー対象なのではなく、サポートニーズの子、だという。
つまり、うつなどの病理なのではなく、発達障害とよばれる、いわゆる自閉症的傾向の子がほとんど、ということ。

しかし、手法としてはカウンセリングやセラピーの手段が有名なので、そっちを思い浮かべて実践してしまう大人の方が多いのだ、と嘆いていらした。
先日受講した、県の教育セミナーでのことだ。

なるほど、心のケアが必要な子には、カウンセリングやセラピーが有効であることは間違いない。
しかし、自閉症にはセラピーではないのだ。
つまり、受容的な受け答えや励ましは、不要、ということ。
これは、分かっているようで、案外と整理できていなかった部分。

セラピーでは、こう答える。
たとえば、
「ぼく、みんなとちがうからダメなんだ」

セラピスト、カウンセリングの場では、これも受容する。
つまり、
「みんなと同じようにできないから、それが苦しいんだね」

あたたかいまなざしで、こういって受けてあげる。
これは、ぜったいにやっちゃいけないんだって。
自閉症児には。とくに、決めつけこだわりの強い子には!

なんと。


こうやって心境を吐露するアスペルガーの高学年がいたら、ぜったいに言いそうだ。
「そうかー、ダメって思ってるんだね。苦しいんだなあ」

でも、これはぜったいダメだって。
その、講座の先生のおっしゃるには。
つまり、受容すると、こだわりが強くなるだけ。
こだわりを強くする、ということには加担しないこと。
つまり、受容する、という考えを捨てなければならない。


どうするか。

「自分と他人の違いが分かるのは、すばらしいことだよ」

と諭すんだって。

当事者のこだわりに興味を持たない、加担しない、こだわらない。
できれば無視しつつ、その子にプラスのフィードバックを与えてあげること。でなければ、肯定的な関係を保つことができないし、のぞましい社会性を伸ばすことができないから。

なるほど、と思いました。たまには県のセミナーでも、勉強になるな、とうれしくなりました。

と同時に、こういったフィードバックが瞬時にできるようになるには、相当の修業がいるし、こちらにその視点が常にないといけない。教師が意識していないといけない、と思ったのでした。




ままごと遊びでノッてくる子とそうでない子


教室の中に、リコがいる。

リコ、というのは、アニメの登場人物。
ペンギンだ。

NHK。朝のアニメ、「ペンギンズ」の、ちょっと毛色の変わったキャラクターが、『リコ』だ。
クールな隊長、作戦担当のコワルスキー、かわいい新人。
そして、何でもかんでも胃の中に入れている、リコ。
この4人が、ニューヨーク・マンハッタンの動物園で、悪?と闘うのがストーリー。
悪といっても、なにが悪なんだか分からないのだが、自分たちは正義の味方だと定義して、いろいろと活動中なのが、このペンギンズ、である。

うちのクラスのSくんが、ときおりとっぴょうしもなく面白いことを言ったりやったりする。
ある日Sくんが「ウェッ!」とリコが出すような声を出した時、すかさず Yくんが「今の、リコみたい!」と言った。

それでクラス中が笑ったのだが、それ以後、みんなでSくんを
「リコ」
と呼ぶようになった。
Sくんもうれしがっているので、アニメの『リコ』がすっかりSくんのキャラクターのようになり、それはそれでいいのだが・・・

これはまあ、ままごとのようなもので、リコになりきって、遊んでいるような感じ。
これに、ちょっと対応できていない子もいる。
なにがおもしろいのか、なにがみんなに受けているのか、分かっているようで、微妙に分からない。

Sくんを「リコ!」と呼べば、おもしろいか、というと、必ずしも、そういうわけでない。
Sくんがその気になり、リコを意識して、いわゆる<ボケ>をかましているときに、「リコみたい!」とつっこむのが、おもしろいのだ。それで、みんなが笑うのだ。

ところで、タイミングも何もなく、「リコ!○○して!」とSくんに言ったからとて、それが面白いわけでなく、周囲のみんなが笑うわけでもない。
ところが、そういう微妙なタイミングを、うまくとれない子がいる。
つまり、その子はイマジネーションをふくらませていく力が弱いのだ。
これは、ルールを理解する力と一緒だし、先生が怒ったりやさしくなったりするのを理解する力と一緒。

ままごとって、大事だなあ、と思う。
親として、教師として、子どもをみていくときに、ままごとの世界を堪能できている子か、ままごとの世界にのめりこんでいけるか、同時にのめりこみすぎないで、辞めよう、となったらきちんと正常の世界にもどれるか。知っておくべきだ。正しく虚構の世界に遊べる子は、健全だ。

さて、くだんのSくん、リコ、と呼ばれるのが相当うれしいらしい。
家でも、お母さんに、

「ぼくのこと、リコって呼んでいいよ」

とお願いしているそうだ。
これまでわりとまじめで、受け身だったSくんが、リコ!のあだ名をきっかけに、なにかちょっと変わっていきそう。
他の子も、キャラ付けされると、とたんに生き生きしだすのはよくあることだが、彼の場合は、リコだったんだな。

リコみたいに面白いSくん。
きれい好きなAさん。
画鋲ハンターRくん。

こんなふうに、たまに、○○くん、と呼びかける前に、形容詞をつけて、呼ぶようにしている。
子どもがすごく、うれしがるのが、顔を見ると分かる。

画鋲ハンターというのは、よく廊下等に落ちている画鋲を、
「先生、画鋲が落ちていました」
とひろってとどけてくれるから。

「おお、またか!うれしいなあ。やさしいなあ。だれかが踏んじゃう前に、Rくんが届けてきてくれたね。おかげでだれかが助かったよ」
と言っていたが、それがうれしかったのか、何度も届けてくれる。
だから、
「おお、どんな画鋲も、Rくんの目はごまかせないな。まるで獲物をねらうハンターのようだ。Rくんは、画鋲ハンターだね」
と言った時から、私とRくんだけで、<画鋲ハンターごっこ>のようなことがひそかに続いている。

考えてみれば、大人だって、
用心深い○○先生、
机の上がきれいな○○先生、
算数だったら○○先生、
というふうに、形容詞付きで呼ばれると、なんだか楽しくなってくる。




子どもの反抗に、こう切り返す!


「おまえなんて、クビになれ!」

子どもが教師に対して、暴言を吐く。

子どもの心理を考えると、ここまで言うのは、よほど追い詰められている状況だ。
ふだんからこういうことを連発する子もいる。
こういう子は、ほとんど反抗挑戦性障害、という感じ。
なかなか対応がむずかしい。

しかし、教師のやることは、動機づけ、つまり肯定的なフィードバックを続けていくことしかない。
これを外れて、教師のやることにほとんど意味が無い。
怒鳴っても、威圧しても、ほとんど子どもの動機づけにはならない。社会的に意味のある、認知されたまともな行動を増やしていこうとすること。それには、怒鳴ってもあまり・・・。
とくに、家でよほどしっかりとしつけられている子には有効な手段かもしれないが、発達障害を抱えるような子に、怒鳴っても一利もない。

こういうとき、

「きみ、そんなこというってことは、よほどふだんから、なにか我慢しているのじゃない?」

ほとんど取り合わないときもあるが、そういうときは、それで心配そうに顔をみているだけでよい。興奮状態が収まらないのであれば、次の手段。

「また。心にもないことを言って・・・」

さいごの、・・・がけっこう大事だ。
余韻を残す言い方といって、案外使えるスキルである。
会話を途切れさせない、なんとか続けさせたいとき。わざと、こちらのセリフを中途半端に終わらせる。

こういうテクニックを、なんというんだろう。
思いついただけだから、まだ名前がない。(あるのかな?)

さて、この、「心にもないことを言って・・・」

は、まともに相手の言葉に正対していないから、救われる。
まともに正面からぶつかったら、危険なときがある。
ある種の、子どもの売り言葉。
こういうものには、真正面からぶつからない。
双方が、損をする。
引くに、引けなくなる。
とくに子どもが、引けるようにしておかないと。教師は、子どもの逃げ道をのこす言い方をしなければならない。

また何か言う。
アスペルガーの子や、広汎性発達障害、自閉症スペクトラムの子の中には、言葉の応酬が大得意、という子がたくさんいる。
まともにやりあっていたら、教師はこわれてしまう。


そこで、こっちは同じようなことを繰り返し、まともに相手をしない。

「また、心にもないことを言って」

(ちがうわ!本気でそう思ってるから言ってるんだ。アホか!)

「また~、そんな心にもないことばっかり」

(同じようなことばっかり言うな!おめえ、教師だろ!)

「心にもないことばかり言ってる・・・」

(本気で言ってるんだ!お前なんて、クビになれ!)

「心にもないこと・・・」

(また同じこと言ってる!アホ!)

「心にも・・・」


まったく、会話になっていかない。
これがコツ。

そうでなければ、会話に意味を生じさせてしまう。
会話に意味や価値を生じさせていいこともあるし、教師はほとんど、そういうことに長けていなければならない。でも、例外がある。相手の子どもが、アスペルガーであった場合だ。その場合は、

「会話に意味をもたせなくする」

ことで、はじめてコミュニケーションが正常にもどる。
言葉の上での関係性を、正しきに戻すための、有名なテクニックなのだ。

こういうテクニックを、ブロークンレコードテクニック、という。
つまり、壊れたレコード。
相手が、飽きるのが目的。

さて、相手がうまく飽きてくれて、言葉のゲーム場、言葉の土俵から背を向けて降りてくれたら、まずは一段階突破。

つぎに、前述の、

「きみ、そんなこというってことは、よほどふだんから、なにか我慢しているのじゃない?」

といって、続けていく。
ようやくさっきのゲームを続けるつもりがなくなった相手は、この投げかけに、なんらか反応するであろう。

「我慢してるんだわ!あたりまえだろ!」

そうか。
やっぱりそうか。
えらいじゃないか。
授業中でも、今みたいに大きい声で叫んでいない時は、我慢してるんだよな。

これから、我慢しているとき、先生に教えてくれてよ。
「ああ、○○さんは、今、我慢していて、がんばってるな」と先生がわかるからさ。そして何か言いたいことがあったら、先生にそこで言うこともできるじゃない。

うまく報告してくれたら、ゴールイン。
ただブチ切れていただけの反抗児だったのが、自分を客観的にメタ認知したうえで、正常なコミュニケーションとして自分の状態を教師に報告してくれている、ということにまで進展する。
正常なコミュニケーションや社会参加ができるようになれば、そういう行動が増えれば、異常な行動がその分、減る、ということになる。

河原の石積みにも似た行為かもしれない。
でも、それしか方法がないのだから。
肯定的なフィードバックと共に、児童の正常な社会参加の量を増やしていくことしかない。




教員へ転職。給料の額は・・・


教員へ転職する前、20代のころは、農業の団体職員だった。

給料は、まあ、ふつう。
平均よりも高い方ではなかったが、なにせ毎日食べているものが高級で、新鮮で、やめられなかった。

テレビのグルメ番組を見ても、おお、と思わない。
これは当時も、

「おれたち、こういう番組(グルメ料理リポートなど)って、ちっとも反応できないな」

と仲間と話したことを思い出す。
新鮮で、とれたて、これはどんなに料理をしても、かなわない。
だって、味がちがう。

牛乳だって、搾りたては、砂糖が入ってるの?と思うくらい、うまい。
味がちがう、というのが、知らない人には伝わらないからもどかしい。
砂糖が入っている?というのとも、本当はちがうのだが・・・。
自分がそれまで知っていた、市販の牛乳パックに詰めてあるものと、あまりにちがうので、そう言いたくなるのかも。(砂糖が云々と)

パンも、焼きたては、味がちがう。
これはもはや常識だろう。

野菜もしかり。
朝、とってきたきゅうりは、なにかがちがう。
とにかく、そのままでもうまい。
とれたてのちんげん菜が好きだったが、そのままでうまい。
この「うまさ」を、レストランで、と思うこともあったが、期待するのを止めた。


さて、就職一社目。


農業していた20代の給料額は、平均なみ。
その後、野菜の販売やカタログ製作のために東京の会社へ移籍。

これが初転職の二社目で、このとき給料が少し、上がりました。まあ、年もとるから、当り前なのですが、職種やら地域の差が出たのだと思います。でもまあ、ふつう、です。

その後、転職し、三社目。わけあって、会社を辞めることになりました。同時に、教員になることを考え始めます。
少しの間、派遣登録をして、派遣社員としてIT企業に勤務します。
給料は下がりました。

続いて、転職・四社目。
御縁のある方からのお誘いで、正規社員としてIT企業に勤務することになりました。宇宙研で常駐しSEとなります。このとき、給与がとてもよくなりました。額を言うと、親も親戚もみんな
「えっ?!」
と驚くくらい。
まあ、会社を転々と変えていた私のことを知っているので、こんな根なし草のようなやつが、まともに給料もらえるのか、と驚いていることもあったのだと思います。

このIT企業社員は、まあいわば、世をしのぶ仮の姿、でありました。
心の中では、すでに教員になることを考えておりました。現実に通信制大学で単位を取得したり、小学校教員資格認定試験を受験したり、と行動していました。

さて念願かなって、教員免許を取得。
これで気持ち的には初めての転職をすることになりました。
小学校の非常勤の講師になったのです。
教員への転職、が現実になりました。

一年目、非常勤の時代の給料は、これまでの半分以下に。
翌年二年目、常勤の臨時任用講師となりました。これで、IT企業時代の4分の3程度まで復活しました。
教員採用試験に合格し、正規採用となりました。
でも、給料はほとんど変わりありませんでした。
つまり、臨時任用講師と正規採用者とでは、ほとんど変わらない、ということです。


給料額という待遇面をみると、サラリーマンの方がいいですね。



教員へ転職する、ということで、給料額の質問がありました。
ブログで何年も書いていると、いろいろな方からの質問がありますが、たまたま最近、給料のことで質問が重なりましたので、書いてみました。




どくとるマンボウ昆虫記の思い出 軽井沢高原文庫訪問


軽井沢高原文庫で、昆虫記にまつわるさまざまな資料を拝見してまいりました。
いろいろと教えてくださったのは、新部公亮(にいべ こうすけ)さん。(おかげで楽しい訪問となりました。本当に丁寧にありがとうございました。)

まずおどろいたのは、北杜夫さんが少年期に腎臓の病で病床にあったとき、実際に読んでいた本が、陳列されていたこと。
本物、です。

昆虫記を読んだことのある方なら分かると思います。
『原色千種昆虫図譜』という図鑑です。
北さんは、この図鑑の、続編をあわてて買ってしまったのですね。正編と続編が並んでいたのですが、買ってきて見てみたら、台湾の蝶ばかりが並んでいる。これはおかしい・・・。(装丁がきれいだったのか、新品に見えたのか・・・)

せっかく貯金をはたいて買った本が続編だったので、北さんが相当落ち込んでいるところ、周囲の方が気の毒がって、結局正編をプレゼントするのです。

その、正編と続編の、両方の昆虫図鑑が、きちんと陳列されてある!

スゲェ!
一気に、ボルテージがあがりました。
この有名なエピソードは、昆虫記ファンならだれでもすぐに思いだせるはず。

ところで、そばで私に解説をしてくださった新部さんが北さんからその実際の本をお借りして、確認したところ、面白い話をうかがいました。正編の方の本は、中古だったらしいです。別の方の蔵書印があったとのこと。
つまり、あまりにも落ち込んでいる宗吉少年に対して、新品の本をプレゼントしたのではないのです。だれかから譲り受けた、あるいは中古で購入して手に入れた正編を、プレゼントした、と。

こういうことも、本を読んだだけでは分かりませんでしたね。でも、昭和のはじめ、戦前戦中のモノの無い時代ですから。いくら脳病院のおぼっちゃまでも、入手できたのが中古なら中古で、それでよいだろう、ということだったようです。

さて、お次。
覚えていらっしゃいますか。
麻布中学で、昆虫採集がしたくて、生物部だか昆虫部だかに入部するのです。そのときの先輩(フクロウさんというあだ名)からいろいろと教わった北さん。たしか、展翅の仕方とかを習ったのかな。
その先輩と、小説を書くようになってもまだ交流が続いていたので、ハガキをお互いにやりとりをされていたそうです。
そのとき、フクロウさんあてに、「シロウト向けの昆虫記を書こうかな」ということをハガキに書いていらっしゃいます。それが結局、「どくとるマンボウ昆虫記」になりました。
そのハガキも、実物が展示されていました。

いやあ、こういったもの一つ一つが、たまらなく面白い。楽しいです。
いっしょにいった妻と子どもは、一足先に湖の方へ遊びに出て行っちまいました。
でも、わたしが大満足の顔で高原文庫から出てきたのをみて、
「よかったね」
と言ってくれました。



昆虫記が最初に登場するのは、週刊公論、という雑誌。
浅丘 ルリ子さんなど、女優さんの写真が、表紙に掲載されていました。
(この雑誌、商売的には失敗して、すぐに廃刊になってしまうそうです)

この「週刊公論」の「どくとるマンボウ昆虫記」。
なつかしの佐々木侃司さんのイラストがものすごくたくさん掲載されています。これを見るだけでも、なんだかジーンときて、たまりませんでした。
実際の中央公論社の「昆虫記」にも載っていますが、かなりカットされていて、全部は掲載されていないのです。だから、

「おお、こんなに佐々木侃司さんのイラストがあったんだ!!」

と感動しました。これも、じっくり見せてもらいました。
いやあ、今でも本当におしゃれで、センスがいいです。細い線でも、なんだかとびぬけて、常識をやぶろうとしている。筆の勢いで、というのでなく、おしゃれに、読者の度肝を抜こうとする、というか、楽しませてやろう、というか。はじめて佐々木侃司さんのイラストに触れたのは、どくとるマンボウシリーズ(中央公論社版)で、小学校6年生だったと思いますが、その頃に受けた印象や感じが、28年後の今もまだ続いています。


さて、最後に、亡くなった北さんのご遺族にあてて、スケッチブックにメッセージを書けるコーナーがありました。
これも、案内してくださった新部さんが、

「大ファンでいらしたのですよね。せっかくですから、どうぞお書きになっては・・・」

とすすめてくださいました。
それで、思いのたけを、1ぺーじぎっしりに、書いてきました。
北先生への、感謝の気持ちです。


f:id:arigato3939:20111105175757j:image:medium:right


最後、高原文庫で100冊限定で、北さんがサインをしてくださった昆虫記の文庫本を買いました。
一冊一冊、見覚えのあるサインが、きちんと書かれています。
旅の思い出としては、うってつけでした。

愛知から軽井沢まで、わざわざ高速をとばして来て、よかった。
朝5時発で、一日がかり。
日曜日には、学校で仕事があります。
土曜日のうちにもどらなければならない。
家族に、一泊旅行をプレゼントしたいが、今日は残念、ということで。

帰り道、寝ている息子たちをよそに、妻に、北杜夫の魅力を熱弁しつつ、高速を飛ばしました。
妻も、半分は寝ていましたが。

佳き旅でした。




クリスマス サンタに早めに連絡しないと・・・


給食のとき、食べながら子どもたちはさまざまな話題で盛り上がっている。

(小生が小学生だったン十年前、給食中はしゃべらない、というルールがあって、みんな黙ってご飯をいただいていました。話ができず、つまらなかったのですが、なにか当時の担任の先生、理由があったのでしょう。気が付きませんでしたが・・・)

そこで、ある男の子、

「おれ、明日、サンタに手紙書くわ。かあちゃんに、早めに書けって言われてるから」

としゃべりはじめました。
ひとしきり、

「手紙なんか書いたことない」
「うちは、お母さんが、伝えてくれるはず」
「お父さんが1週間くらい前になったら、風船で飛ばす」

と、いろいろとご家庭の事情が話されて、私は笑いをおさえるのに大変でした。


いやあ、子どもたち、けっこう真剣な話題なんですね。
それが、まあ愛知の田舎ってこともあって、純朴と言うか・・

神奈川にいたときは、同じ2年生でも冷めていて

「そんな、サンタとか、まだ信じてんの!?バカじゃん!」

と一蹴され、冷たいような、寒い空気が漂って、みんながなにかイライラした妙な感じなったものです。
そうした状況になったことも記憶にあるので、今回、純朴な子どもたちが真剣にサンタについて議論しているのは、本当に心がなごむ、楽しい時間でした。


ところで、今日、近所の温泉(いわゆるスーパー銭湯)に行ってみました。すると、なんとまあ、ロビーで流れているのは、

「真っ赤なおはなのトナカイさん」

だの、

「ジングルベル」

だの、

クリスマスソングではないですか!!


「え?まだ11月だろ!?」

と思いました。

冗談じゃない。もう年末の気分にさせんのかよ!
と思って、なんだか妙に落ち着かない。

さて、いっしょにサウナにこもっていた親父さんたちも、なんとその話題。
「もうクリスマスかよ」
「商戦の気分にさせやがって、ゆっくり風呂はいらせろってんだ」

おじさんたちは、近所の人らしいのですが、どうやら商売をしていらっしゃる方のよう。
職場のことをすっかり放れて、心と気持ちを開放させに来たのです。そこでよりによって一番忙しいクリスマスの時期の気分にさせやがって!・・・ということで憤慨されていたようです。

まあ、こっちは商売人でもない。逆に、年末となるとなんとはなしに休み気分もあるので、まあ厭(いや)ではないのです。
・・・でも早すぎますよ。

最初に書いた、

「早く手紙書くわ」

という子どもは、

「だって、世界中から手紙が届くから、読むのに大変じゃん。だから早めに出しておくんだよ」

という解説をしてくれました。

何でも早めがよいにこしたことはない。
それは一面、真実ですが・・・

でもまあ、あんまり早くに、温泉(銭湯)でクリスマスソングは、流さない方がいいですね。師走の忙しさが連想されて、お客さんのうちには、いやな気持になる方も多いでしょうから・・・。




朝のスピーチ デジカメ その2


先日、朝のスピーチでデジカメを使う話を書いた。

今、わたしの学級で取り組んでいるのは、その発展だ。

すなわち、デジカメ写真を、1枚だけでなく、2枚撮影させる。

すると、

「最初はこうなっていましたが、その後、こうなりました」

というような、変化の実態を紹介するようになる。

家でりんごの皮むきをした子が写真をとって、

1枚目→ふつうのりんご
2枚目→むいているところ(お母さんにとってもらう)
3枚目→きれいにむけたりんごの写真

というようなふうに、3枚撮ってくる子もあらわれた。

そのうち、4コマ漫画みたいにならないかな、と期待しているところ。




小学校教員資格認定試験 もうすぐ2次試験の結果発表


今年も、この時期が近づいてきた。
小学校教員資格認定試験。
その、2次試験の結果が、発表される。

1次は6割。
自分で、点数の大体の予想もつくから、合否のことにもある程度、めぼしがつく。
しかし、2次は論述。それに、ダンスや面接、運動の評価もあるから、なかなか合否がわからない。

2次については、加点方式と減点方式で評価される。

ダンスも面接も、運動も、すべて減点方式。
ある程度の線をこなすことができれば、まあ大丈夫。クリアできる。

しかし、論述は、厳しい。
これはしっかりしていなければならない。骨太な論述が必要で、中身がなければアウト、である。
論述は加点方式に近いと考えてよいだろう。
無難にこなす、ということができにくい。

考えようによっては、ダンスも面接も、妙なへまや、常識のない行動、外れた言動、知識のなさを露呈する、なんてことがなければ、まあ、○、ということになる。
これは、緊張している受験者にとっては、少し救いになると思う。

ホームランをかっこよく打って、ガッツポーズを決めろ!

といわれたら、緊張して力が出せないけれど、

見逃し三振だけはするな、

というのだったら、妙な肩の力も抜けるのでは・・・。

これで、教員資格認定試験の突破のコツが見えてきた。
つまり、論述こそ最大の突破口である、ということ。
論述に力を発揮できれば、合格はすぐ手の届く近くにある、ということだ。


多くの「小学校教員資格認定試験」の受験生の方が、合格しますように。
そして、世の中に、

「教育実習を受けていないけれど、サラリーマンや社会人でしたけど、おかげで教員になれました!」という人が、もっともっとたくさん増えますように。

やりなおしのできる社会。

本当にあったかい社会って、生きててよかったって社会は、こういう社会ですよね。




朝のスピーチでデジカメ写真を使う


朝のスピーチを続けている。
もう半年以上になるから、どの子も大体、そつなく何かを言えるようにはなってきた。

型を教えた。

1)時刻は何時何分になりました。
2)ニュースの時間です。
(ここでクラス全員、「はい」と言う)
3)きのう、○○○ということがありました。→できごと
4)わたしは、□□□と思いました。
5)終わります。

クラスの中の、3,4人はこれでも詰まる。
前の時間に、ひそかに練習をすれば大丈夫だ。

本当に緊張している子もいるし、前に出ると
「はずかしい」という所作をするのがふつうだ、と
勘違いしている子もいる。

でも、これを毎日つづけていたら、これが当たり前になってきた。
言えて、当たり前。
さらさら、と発表でき、それをみんなも認める空気ができてきた。

1学期はこれで通したが、2学期になって、変化をつけた。
こういう、年間を通して実践することについては、慣れてきたら変化をもたせるようにした方がいい。

2学期は、デジカメ写真を撮らせて、発表させることにした。
デジカメの写真をとるくらいは、2年生ならすぐに覚える。
今のデジカメは本当に楽だ。かんたんだ。

担任の安いデジカメを持ち帰らせて、一日一人、担当の子が撮影してくる。
それを次の日の朝の会で、発表させるのだ。

1)時刻は何時何分になりました。
2)ニュースの時間です。
(ここでクラス全員、「はい」と言う)


ここまでは、1学期と同じ。


3)この写真は、○○○の様子です。□□□している写真です。
4)わたしは、これを撮影して、□□□と思いました。
5)終わります。

4)を、変化させて、

4)なぜこの写真を撮ったかと言うと・・・

と言わせることもある。
言いやすい方で言わせている。


ともかくも、できごと→思い
の順に言わせるのが、いちばんわかりやすい、と分かった。

できごと→思いや感想
写真→思いや感想

そのうちに、思いや感想の部分を、一文でなく、二文、三文、と長く言える子もでてくるので、それをクラス全員の前で、かぎりなくほめる。

すると、

「感想は長いのがいいんでしょう」

と言って、かんばろうとする子も出てくる。




ひょうたんの皮むき


生活科。

ひょうたんを育てて、窓の外に「緑のカーテン」をつくった。
広い葉が、夏の日差しをずいぶんとさえぎってくれていた。
おかげで、熱中症にもならず、わりと涼しくすごせた気がする。

教室の中に、日蔭ができていたのが、とても嬉しかった。


さて、そのひょうたんが育ち、収穫ができた。
9月、すっかり形のできたひょうたんをとり、ドリルで穴をあけて種をとった。

その後、水につけておいたものを、一か月ほどして表皮をむく。

つるり、ときれいにむけた。

もう一度、水にひたして、こまかな汚れをとるために2日ほどおき、その後、わりばしを地面にさして、そこへひっくりかえして干しておいた。

無事に乾いたら、なにか工作をしたい。
どんな具合にできるかな。
水生ニスでつやを出し、なにか塗ろうか。
色のペンで、みんなで模様を描こうかな。

(皮むきのとき、くさいくさい、と言っていたが、私はそんなに臭くなかった。ヤクルトの「ひょうたんごっこ」を使ったのが効いたかもしれない。本当にそのまま腐らせると、猛烈な腐臭がするのだが、今回はひょうたんごっこを使ったから、腐ったにおい、というものとはちがって、漂白されて溶けた、というようなにおいだった。そんなに臭くはありませんでしたよ)




日記の書きだし


日記を、週に2日、書かせている。
火曜日と金曜日。
火曜日は、学校であったこと。授業や休み時間、清掃、給食、帰り道、なんでもいい。
金曜日は、土日に家で起きた出来事。

数年前、高学年を担任していたころは、日記に毎日、取り組んだこともある。
正しくは、自学ノート。
イメージは、恩師の岩下修先生の実践だ。
自分で自分の決めた学習をしてくるのは、高学年の自分にとっては大変面白かった。クラス中が熱中していた。
ただしこれは、高学年向きと思う。低学年の今は、プリントや漢字を毎日決まって習慣にしてやってくる方がいい。(なにがいいって、保護者に受けがいい)

毎日、算数のプリント1枚。
さらに、漢字を1ページ。(漢字スキルのプレテスト風に)
そして、火曜日と金曜日は、日記。
これが、基本の宿題パターンだ。

さて、日記だ。
低学年だから、とにかくていねいに書いてあればほめる、といった具合で、ほめる材料にしている。
ただ、それだけでは面白くなくなってきて、「高みを目指す」という児童もでてきた。
日記に対して欲のある、先行集団だ。

その子たちに対して、夏くらいから、ある指示を出してきた。
「台詞をたくさん書いてきなさい」

これで、事実の羅列、というパターンから、次第に小説風、物語風の日記へと、変貌していく。

○○しました。そして、△△しました。そして、××しました・・・。

こういった日記が、変貌する。

「○○!」とお母さんが言ったので、ぼくは△△だな、と思いました。でもそのあとで、弟が××していたので、ぼくはおどろいてお母さんに急いで、「○○!」と教えてあげました。

台詞が入るだけで臨場感が増してくる。



これを、すかさず、朝の時間に少しずつ、クラス全体に紹介して、

「○○くん、うまいなあ」

とみんなが思うように仕向けて行った。

なかでも上手なYくんに、次の指示を出した。
これが10月のはじめ。

「日記の書きだしを、台詞からはじめてごらん」

素直なYくんが、それを忠実に実践してくれる。

「『おやつあるよ』とお母さんが言いました。」

こんな書き出しを書いてくるようになった。
これをまた、クラス全体に紹介した。

音や、台詞で、日記を書き始めて御覧。

「ドン!と音がして、妹が大きなおもちゃを運んできました。」

こんな感じ、と。



さあて、明日、どんな日記を見ることができるか。
数人でも、上手にやってこれたら、間髪をいれず、朝紹介しよう、と思う。




記事検索
メッセージ

名前
本文
月別アーカイブ
最新コメント
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 累計:

プロフィール

あらまそうかい

RSS
  • ライブドアブログ