私語について、相談された。
私のクラスも私語が多くて、たいへんだった一年だった。
「学校は、勉強するところです。教室は、学ぼうとする人がいる場所です。自分だけでなく、他の人もいます。自分の家ではありません」
こんなことを、何度言ったか。
心の中では、また言うのか・・・と思っていた時もある。
しかし、また言うのである。
言うのが、仕事であり、それでお金をもらっているのが教師なのだ。
だから、こういうことを、しみとおるまで、言い続けるしかない。
こういうことを言っていたら、近くを通りかかった学年主任の先生が、
「(教室は)別な場所なのだから、別の人になりなさい、って言えばいいじゃない」
と言ってくださった。
なるほど。
授業中の教室というのは、学ぶという目的をもった人が集まる、「公的な場所」である。自宅や休み時間とは異なる場所だ。
それを伝えて、
「別な人になりなさい」
最初は遊び半分かもしれないが、(必要なのは)こういうことかな、と思った。
2011年03月
文部科学省のアンケート、というものがあった。
校務分掌にそって、私の手元に届いた。
しかし、このアンケートをやる時間がない。
結局、ものすごく手抜きをして提出した。
こんなことに時間を使っているヒマがない。
夜10時をすぎても仕事をしている職員室。
だれも、暇を持て余している人はいないはずなのに、みなさん帰宅が10時を過ぎる。
研究所常駐のSEをやっていたころと、同じ感覚だ。
しかし、給与はくらべものにならないくらい低い。どういうことだ?
みんな、職員室でむだなおしゃべりをしてるわけじゃない。
一生懸命に授業のコンテンツをつくっているのだ。
行事のための準備をなんとかしてやろうとがんばっている。
なのに、この分厚いアンケート・・・。
さて、こうしたことにめげないためにも、「その場主義」で仕事をさっと済ませよう。
○集金のチェックは、その場で。
やり方)
1・出席番号順に出す。忘れた子も並ぶ。
2・「封筒からお金を出しなさい。お金は先生に手渡しします」→名簿にチェックをつける。
3・忘れた人は、忘れました、と言わせる。
4・全員出したら、封筒にはんこを押していく。
5・子どもが朝の会をしているうちに、お金を金庫に預けに行く。
○教室で使うノート用紙(方眼マス目)を大量に印刷。3カ月分。
ストックしておく段ボール箱も、学期の初めに用意しておく。
○学級通信を見てもらうために、教頭先生に提出している。
その際に、付箋を貼りつけて、
「教頭先生、よろしくお願いします」
と出していたが、それを学期の初めに大量に印刷して小さな箱に収めてある。
学級通信を印刷したらすぐにそこから1枚出して、すぐに教頭先生へ出す。
もちろん、教頭先生に話しかけてお願いできるときはそうするが、いらっしゃらないときや手を離せない時、話しかけない方がいい時もある。そういうときのために、印刷したメモ紙をさっとクリップでとめて出す。
ほかにもありそうだ。
勉強のメモ。
(DSMとは、アメリカ精神医学会が作成した分類特性)
これから、ADHD、LD(学習障害)、広汎性発達障害について、基本的な知識、概要をまとめてみる。
基本的な言葉の意味、概念を知っておくことが、なによりも先に必要になるからだ。
まずはじめに、
ADHDとは何かについて、下に示す。↓
不注意
多動性
衝動性
この3つの特性がある。
→ 注意欠陥多動症候群と分類する。
(時と場合によって、こうしたものは誰にでもある。
いろいろな程度に、人間誰にだって、こうしたものはある。)
これらの特性の具体例を見ると・・・
↓
課題や遊びが持続しない。
こちらから話しかけていることに集中していない。
作業の指示をしているのにうまく従えない。
課題を順序立てられない。優先順序を決め、うまく片づけていくことができない。
精神的な努力を嫌う。
モノをよく、失くしやすい。
いちいち他のことに気を取られてしまいがちになる。
じっとしていられない。動き過ぎる。
手足をそわそわ、もじもじしている。
席にきちんと座っていられない。
課題に取り組むのではなく、離席して歩いてしまう。
高い所に登ることが好き。
静かに遊べない。落ち着いて遊べない。
しゃべりすぎる。
雰囲気や状況に合わせて自分の行動を適切にセーブすることができない。
また、だれでもいやだなと思うことがある。しかしいやだ、とはすぐには顔に出さないもの。
しかし、そういう感情をおさえることができない。そのまま、すぐに顔に出す。
こうしようと思ったら、待てないですぐにやってしまう。
質問が終わる前に、答えてしまう。
先生が話しおわるまえに、しゃべってしまう。
その結果、他人の言動を妨害してしまうことがある。でもそれに気がついていない。
こうした特性が、ADHD、注意欠陥多動性障害にはある。
次に、「学習障害」についてまとめてみる。
○学習障害
早期に気がつくためのサイン。
落ち着きが無い。
みんなと遊べない。
集団場面での指示の理解が遅い、または悪い。
(これらは、注意欠陥多動性障害の特性とほぼ重なる。
また、自閉症スペクトラムの子どもたちの特性ともほぼ重なる。
どういうことだ?なんのための分類、概念なのだろう?・・・と疑問になる)
こうしたものに、いかに共通点があるかが見えてくるだろう。
LD、自閉症、ADHD、といろいろと専門的な分類があるが、その特性は非常に近く、似ている。
ある女性は、最初にADHDと診断された。
つぎに、
「いや、あなたは自閉症もあるね」
と診断が増えた。
いや、増えたわけではない。
見る人や立場によって、とらえ方が変わっただけだ。
本人はそのままだ。本人は変わっていない。見方だけが変わった。
その時の診断者がどちらに注目するかで、診断名がころころと変わってくる。
いろいろな診断カテゴリーから見ている立場によって、その子どもについてくる診断名は、変わってくる。
もう少し、学習障害についてくわしくみてみる。
運動がきらい。
九九がなかなか覚えられません。
音感が悪いです。
方向感覚が悪いです。
注意が散りやすいです。
相手の気持ちが分からない。
(なんだ、注意欠陥多動性障害と自閉症とLDと、ほとんど同じじゃないか)
(そもそも、分類に意味があるのか。いや、ないと思う)
ここまで、ADHD、LD(学習障害)とまとめてきた。
次に、広汎性発達障害についてみてみる。
○広汎性発達障害
不器用である。
微細な指先の運動が悪い。
心理的な意味の不器用さもある。(あうんの呼吸、というようなことができない)
右利きなのか左利きなのか、きまるのが遅かった、という人もいる。(全員ではない)
営業が苦手。営業はいわば器用な人のやること。それは苦手。
乱暴に見える。衝動性があるから。
とても感情的な人だと見えることがある。
<認知の問題>
複数の情報を同時に処理できない。
引き出しがひとつのみ。
認知、頭の中は、一点豪華主義。それならそれで、一度に占められてしまう。
部分と全体を区分けして整理することが苦手。
右手をあげて、左を下げて、というようなゲーム、遊びが苦手。
短期記憶が悪い。
時間の概念が一般の人に比べてあいまい。
見えないものが苦手。(時間、空気・・・)
お風呂を見てきて。
「はい」(おふろをパッと見た)
どうでした?
「は?」
お湯、沸いてた?
「え、知らないよ」
お風呂、見てきてって言ったでしょう。
「だから、見てきたよ」
見ただけじゃだめよ。お湯が沸いてるかどうか、教えてくれなきゃ。
「そんなこと、今言ったって遅いよ。先に教えてくれなきゃ」
こうしたことが発達障害の特性である。
ここまでみてきて、自閉症スペクトラムというものの内容がみえてきた。
つまり、どれも区切りがあるわけではないのだ。
ADHD、LD、自閉症、発達障害、・・・これらはすべて連続している。
切れ目をみつけることができない。
そもそも、区切ろうとして区切ることができない。そうしたもの。
「母は強し」
それを実感した、最近の話題。
近所の保育園に、息子が通っている。
保育園の母どうしというのは、すぐにも仲良くなるようで、家内もさっそく多くの仲間と仲良くなった。
引越してきた最初の一年間で不安もあったが、たちまち、おしゃべりや勉強会や子どもの預かりっこをしては交流しているようであった。
私が小学校の教員であることは家内を通じて知らされているらしい。
よく遊びに来る子のうちとは、親とも交流ができ、ときには立ち話であったり、たまの休みの日に家の中に招いていろいろと話もしたことがある。
みなさん兄弟に小学校の息子や娘がいて、クラスのことやらなんやかんやで話題はいろいろとある。私は私の立場で、ご近所の親同士、という立場でいろいろと世間話もしていた。
そこで、休みになったから、ということで、私からある提案をした。
そもそもは、自主保育もてがけてきた、運営もしてきた、と言う子育ての半分プロのような親御さんとの会話の中で、
「みなさん、発達障害のことをどの程度、知っているのでしょうかね」
と私が投げかけたあたりから、ことが始まったような気がする。
その方は今でも、大きな自主保育のグループの活動をいろいろと熱心にしていらっしゃるので、大勢の若いお母さんたちからも頼られ、こういった勉強の機会をつくったり、小冊子をつくったり、講座をやったりと、熱心に活動されていた。
たちまちにして、講座が行われることになった。
場所は、ご近所さんがよく集まる古い民家。
広い座敷がある。
民宿である。
そこの宿の主にお願いをして、広間を借りた。
パワーポイントで資料をつくった。
そして、いつも授業のように、発問と作業指示を組み立てた。
内容は、もちろん、発達障害のこと。
クラスにいる発達障害を抱えた児童を知ってほしい。
同じクラスメイトの親として、我が子に示してほしい。
そうした障害を抱えた児童とかしこくつきあってほしい、理解して付き合ってほしい、ということを話した。
講座を聞きに来てくださった方の中に、近くの大きな病院の小児科の先生がいらした。(共通の友人がいた)
わたしが説明することについて、いろいろと補佐して話を付け加え、ふくらませてくださる。障害の内容について、ドクターとしての説明を加え、厚みを増してくださった。
これは非常にありがたかった。
・発達障害、自閉症スペクトラムの子どもが、クラスの中で困っていること
・その子とわが子とのトラブルが想定されるが、それをどう親は受け取るか
・親は、我が子に、何を示し、教えるべきか
後半は、熱心な親どうしの懇話会となった。
ふだんは学校と家との往復ばかり。
なかなか、こうして大人どうしの会合に顔を出すことがないので、非常に新鮮な気分になった。
さて、早速、この講座で使用したパワーポイントの資料がほしい、というリクエストがありました。
メールアドレス欄にアドレス記入してコメントをいただければ、返信します。(ファイルサイズが大きいですが、メールで送れる範囲だと思います)
佐々木正美先生の本を読んだ。
春休みにようやく入り、新年度の準備も進めなければならない、たいへんに忙しい時期だ。
しかし、自分のための読書は、しておかなければならない。
さもなければ、教師としてのエネルギーが枯渇し始める気がする。
教師になって、3年目か。
一番、きつい時間があった。
教師になって最初の2年は、ともかくも教師になったのだ、という緊張感が毎日続いていたのだろう。
しかし、3年目になって、自分の頭の中がスカスカになってきている気がしてきた。
子どもたちの前に、自信をもって立てない。
それは、毎日が見た目平穏にすぎ、授業もやれている、行事の準備もできている、という状態でも感じていた。
中身が充実していない。
それは、教師としては、実はたいへんに危機的な状態であった。
そんなときに、佐々木正美先生の講演会を聞くことができた。
学年主任の先生が、ご自分のクラスの子どもの名前を引き合いに出して、
「いっしょに勉強しに行こうよ」
と誘ってくださったのだ。
これは本当にタイムリーな出来事であった。
もしかすると、ベテランの先生は、私の本心の、自信の無さを見抜いていらしたのかもしれない。
ともかく、私は佐々木正美先生の話を聞いて、教育者としての立ちどころを、再度確認することができたのだ。
私は、教育という場、学校の教師と言う立場で、子どもたちにささいなことであっても、役に立てる存在でありたい、という初心に還ることができた。
ホームランを打つことを要求されているのではない。
毎日確実に球場に足を運び、グラウンドを均し、球を拾ってみがく、ということが大事だ、という思いに自分を戻すことができた。
教師は、ヒーローになるのではない。
ヒーローになる教師が良い教師なのではない。
黒子になれる教師が、めざす姿であり、本質的に子どもの役に立てるのだ、と思った。
そもそも、「良い」教師になろう、とするところが、すでに頭が高い、と言われても仕方のないことで・・・。
・・・ということを考えた。
これほど、佐々木先生の講演を聞けた、ということが自分にとっては大変によいきっかけとなった。
さて、その佐々木先生の本をまた読むことができた。
刺激を受けた箇所を忘れないうちにメモしておく。
(本の内容ができるだけばれないように、私なりの解釈で変容させてある)
もっとも感銘を受けた点、
さらに言えば、もっとも大事な、真骨頂というべき点は、
「具現化する・社会化する」という点と思う。
アスペルガーの人が変わらなければならない、ということでなく、
アスペルガーの人が幸福に暮らせる社会をつくる、ということ。
具体的に、現実的にしていく、ということ。
これは、これまでの
「アスペルガーの人を治していきましょう。アスペルガーの人は現状の正しい在り方にはそぐわないふるまいをしてしまいますから」という世界観とはまったく異なる。
ここは何度確認してもいいことで、すべての言動と考えをこのスタート地点に立ったものとしなければ、まったく逆さま、ひっくり返ったことをやる可能性がある。
これと反することをしている限り、それはアスペルガーの人の、本質的な救いには結びつかない。また、これは非アスペルガー、定型発達の人の救いにもならない。
もう一点。
「そのままでいいんだよ」
と言っていい、ということ。
そんなことを言えば、アスペルガーの人たちは怠けてしまうだろう、ということをたいていの人は不安に思う。私もそう思う。心の深い所では、そう思っている。よくいえば、心配してしまう。
だが、アスペルガーの人たちにいちばんいけないのが、
「そんなことではだめだよ」
というメッセージであり、そのままがいいよ、と言ってあげても、まったく怠けたり、不遜になったり、傲慢になったりはしない。
それがアスペルガーのいいところだ、ということ。
東日本震災の被害に絶句。
被災の事実を知るにつれて、ただもう被害がこれ以上増えないように、と心から願うばかりだ。
テレビの報道を見ていたが、体調が悪くなってきた。
本当に、耐えることを要求される映像ばかりが流れてくる。
ここまでひどいとは・・・
救助のニュースが流れてくると、本当にその関係者のみなさんの姿勢と努力に、感謝したいという気持ちになる。
心からお見舞い申し上げます。
家で、突然電話がなった。
大手の旅行会社代理店のNさんからだ。
なんと、Nさんは今、海外にいるらしい。
「日本が大変だ、と聞いて・・・」
情報が飛び交う中、さすがは大手の旅行会社。
災害時の情報管理も整っているらしく、もうすでに多くの情報を知っていた。
Nさんは、添乗員としてツアーの案内中らしかった。なんとか帰国の手続きをして空港近くのホテルに泊まっている最中だとのこと。そこで、私に電話してきてくれたのだ。
「来週の、ディズニーランドの下見、延期させてください」
実は、6年生の修学旅行はディズニーの予定であった。
7月の最初に行く旅行の、下見をする計画があり、何度か打ち合わせを重ねていた矢先の、震災・・・。
今現在、報道規制もある中(風評被害対策?)で、東京リゾートの情報はほとんど見られない。ニュース記事もあったが、何度検索しても同じ記事がくりかえし出てくるばかりで、ディスニーランドの現状を伝えるニュースがほとんどない。
ところが、旅行会社としてはきちんと把握しているらしく、Nさんは
「しばらくディズニーは無理そうなので・・・」
私があわててWEBで確認すると、TDLの公式ページには、まだその時点では、12日(本日土曜日)のみ休園、としか書かれていなかった。
それを伝えると、
「いや、地面が液状化して、東京ディズニーシー外周の道路は、街灯が傾いてしまっているらしいです。3月中の下見も無理だと思います。安全宣言がいつ出るのか・・・。」
大きなアトラクションを抱えるディズニー。安全が一番の観客サービスだ。そのため、液状化してしまった巨大な敷地に対して、しっかりと調査をしてからしか再開しないだろう、とのこと。
「せっかくの修学旅行なのに、すみません。他の候補地を検討することも含めて、帰国したら大急ぎで対応させてください」
と言って、Nさんは、すみません、と謝りつつ電話を切った。
Nさんが悪いのではない。
むしろ、ご自分も大変な状況だろうに、こちらの学校のことを考えて電話まで下さったことが本当にありがたかったし、申し訳ないような気持ちになった。
ともかく、原子力発電所の問題も含めて、大震災の影響がはかりしれなくなってきた。
いったい、どうなるのか。
先週の金曜日に行われた会の、覚書。
自分のためのメモ。
1) 5年生の発表は、全員で大きな声を出せる空気を。
今回、5年生のエール隊が、ステージ上でフレーフレーの応援をした。
シュプレヒコールのようなものをしたが、その際、他学年の後ろにひかえていた5年生も全員起立し、声を合わせた。
5年生全員が、心を一つに合わせたようなイメージになった。
2) 自分の役の前に臨機応変に準備する→ 全員ひとつ前のタイミングで準備する
それぞれ各自の出番の直前に準備させようとしたが、ドタドタと音を立ててステージそでに駆け込む姿が目立った。それで、5年の出番の前、1年生の出番の準備の時に、いっしょにステージにあがるようにした。
3) 花のアーチ。6年生が入場する直前に、アーチを用意しようとしたが、入場前にはすでにスタンバイするようにした。
4) 放送機器のチェック。マイクを念のため、3本に増やした。
5) だれがどのマイクを使うか、詳細に定めておいた。
つづく。
やはり、やればやるもんだなあ。
先週の金曜日。
6年生を送る会、が行われた。
事前に、かなり入念な仕込みをしよう、と決めていた。
失敗をしたくない。
先生が仕切る会ではない。
子どもたちが、動かなければならない会なのだ。
だから、当然、どうやって動けばいいのか、事前に入念な打ち合わせがしたい。
子どもたちだから、みんながみんな、やる気でいるわけではない。
しかし、数人の本気がすぐに伝わっていくのもまた、子どもならではの動き。
カッコよく、やりたい、という思いをもっているのは、全員だ。
なかにはふざけているものいるが、
「ただふざけている姿というのは、みっともない」
みっともなくてもいい、ふざけていたい、という子はやらなくていい。
そういう子は、ただ、見ていればいい。
そう、スッキリと思えるから、叱る必要が無い。
「そうか。まだ一緒にやれないね。じゃ、だまって座ってみているんだね」
そう言える。
その、だまって見て、座っている子が多くてもよい。
数人の本気が、崩れなければいい。
不思議なことに、そうこちらの心が確定していると、本気の子ばかりになってくる。
本気だから、打てばひびく。
これはすごい。
言うことが、趣旨が、すぐに伝わる。
だから、進行がスムーズだ。
クイズがある。
中学に向けて、6年生にアンケートをとった。
その内容をもとに、全校にクイズを行った。
3択だから簡単で、腕をあげて、指で示すだけ。むずかしくない。
そのクイズのさなかに、ダンシングチーム7人の踊りがある。
これは、おふざけの好きな男子が担当。
その中には、頭の固~い男子も含めておく。
殻をやぶる、チャンスだ。
各学年の出し物、5年生の出し物、と続いて、最後はスライドショー。
パワーポイントで、自動進行。
担当の子が、ナレーションを合わせて読むだけ。
曲も勝手に流れる。
最後、フェードアウトできるように、曲をあらかじめ Soundエンジンで編集しておくといい。
最後の画面。
校庭にポツンとおかれた、サッカーボール。
そのボールにピントが合い、遠くにかすかにぼやけて見える、校舎と体育館。
広い校庭だから、なんとなく、さびしさを感じさせる構図だ。
そこに、画面下からスクロールして上がってくる文字。
「6年生のみなさん、ありがとうございました。
思い出の校舎、校庭、教室。
中学校へ思い切り、はばたいてください。」
やはり、写真は力があるなあ。
今は、こんなことが楽にできてしまうんだから、すごい時代になったもんだ。
とはいえ、いつもいつも、パワーポイントが登場するからちょっと辟易している面もあるけど・・・。(年末の打ち上げでもパワポを使った出し物があったし)
飾り付けが大変だったし、算数が終わっていないのにずいぶん時間数を犠牲にした。
あとは、転校する子のお別れ会と、残りの算数が課題。
3月の残り日数が、なんとも少なく感じる。
撮影が終わり、教室に子どもたちが戻り始めるやいなや、大急ぎで次のことをした。
学級のルールを載せた「学級通信」をパソコンで大急ぎで探し、人数分のプリントアウト。
印刷したての通信を握ってそのまま教室へ。
「さっきの航空写真を撮っていたときのことです。自分の態度を思い返してみてごらんなさい。そのための資料です。黙って読みます」
ここまで一気呵成に言い切って、4月の学級通信を配布した。
「物は投げない、チリ一つ」と書いてある。いくつか定めたルールのうちの、7番目だ。
しばらくして、顔を上げるのを待ち、
1)Iさんの体に、石が当たりました。どう思いますか。と切り出した。
まじめな女子、まじめな男子、ふつうの女子、ふつうの男子、と順に指名し、一言ずつ言わせた。
2)石を投げるということをどう思いますか。
これも同じように言わせた。
3)投げた人のことをどう思いますか。
さらにつめた。
いやです、許せない、と何人もの口から出てきた。
4)関係者、立ちなさい。
素直に立ったのが5人。Pくんもたっている。1人、おそるおそるという感じで立った。
一番ここで確認したかったのは、ルールはルールだ、ということだ。ならぬものは、ならぬ。投げてはならぬ。これについては、先生は本気だ、と伝えたかった。
5)4月から、クラスのルールになっていました。そのことをどう思いますか。
目の前に、4月の最初に配った学級通信がある。そこに、書いてある。言い逃れはできない。
結局、小石を投げていたのは、Pだけではなかった。
起立した全員が、つかの間の石合戦に参加していた。
Pくんの投げた石がIさんに当たった、ということも確認した。
Pくんも、言い逃れはしなかった。
Pくん、どうしますか。と尋ねると、「謝ります」と言った。
「ごめんなさい。」
謝る時は、きちんと頭の先が足のつま先につくと思うくらいに下げるのですよ。
やり直した。
それを見て、他の5人も同じように謝った。
Pくん、これから同じようなことがあったら、どうしますか。
謝ります。
そうならないように、これからはしっかりやりなさい。必ずそうしていく、と思えた人から座りなさい。
一瞬迷いがあったが、全員座った。
すぐに切り替えて、国語の音読に入った。
ルールを提示し、趣意説明をした。
また、学級通信もあった。いろいろな取り組みの重なりで、「仕切りなおし」をした。
その後、モノを投げるシーンは今のところ無い。
ここはゆずらない、と決めている。
けが人を出すクラスはいやだ。
けが人の出ないクラスにする。
クラス全員でそこを一致させていく。
そのうちに、飛行機が来る、ということになってみんな一瞬黙っている。
空は快晴。
ところが、情報が錯綜して、教務主任が
「まだ、あと5分ほどだそうです」
とマイクで話すと、堰を切ったように、全校のおしゃべりが始まった。
低学年のクラス、がんばって立っていたが、あと5分もあると聞いて担任が児童を座らせ始める。太陽がまぶしく、顔をしかめておでこに手を当てる児童が多くなってきた。風がほんの少し吹くと寒いし、その後に乾いた土ぼこりが集団の周囲を舞う。しかめつらがさらに、増えていく。
たまらず、
「5年生、座りなさい」
と座らせた。
ほとんど、全校児童が座って待つ状態になった。
寒い。近くに座っていた口をとがらせた女子が、尋ねてくる。
「先生、まだなの」
「あと少しだから、がまんして立っています」
声は、凛とした厳しい声を出したつもりが、自分でも予期せぬ<かすれ声>になっていた。
その時。背後から声が聞こえた。
『痛い!』
つづけて、
「先生、○○ちゃんの目に石が当たった!」
やってしまったかっ!
地面に座ったものの、ヒマをもてあました男子が、5メートルほど離れた別の列にむけて、小石を投げていた。それがコースを外れて、女子に当たったのだ。
あと数分で飛行機が来る。どうするか。
そばに行って、シマッタ、という顔をしている男子が目に入った。Pさんだ。
先に、Iさんの目を見に行く。たいしたことない。目でなく肩だった。ちょっと安心する。
Pさんの隣は、Tくん。こっちをしっかり見ている。
目が合った。近くに来させて、知っていることを教えて、と話させる。Pくんが投げた、という。
女子の近くにいた子にも聞いた。やはりPくん。これはみんなが見ていたな、と分かった。飛行機が来る。時間切れ。そこまで。
勤務校が、創立40周年を迎えた。様々な式典を計画し、実施することになっていた。その最後のイベントがあった。航空写真の撮影だ。
2時間目から3時間目の間、という不規則なタイムスケジュール。高学年から校庭に並び、飛行機の到来を待つことになった。
校庭にはカラーの石灰で校章がかたどられ、イラストの一端に5年生、わが学級の児童が並び始めた。
「なんだこれ」
「この絵、なに」
「先生、○○が線踏んでるけどいいの」
軽い興奮と、おしゃべりが続く。
私も最初のうちは笑顔で「口をとじます」などと言っていたが、そのうちに笑顔でいるのがキツくなってきた。何人か、大声の目立つ男子を列の外に出し、言って聞かす。
教室を出るときに、きちんと指導をするべきだった。悔恨の念。
私の形相がキツくなってきたのを知ってか、だんだんと声が小さくなり、黙る児童も増えてきた。
待っているとしばらくして6年生が並び始め、中学年、低学年も列をつくりはじめた。しゃべり声が大きくなっていく。みんなの声が足し算されて、かなりのボリュームだ。
5年生、がんばって黙っている児童もいるが、やんちゃくんたちはまた、話し始める。
<ヨシ、目で制するンダ!>
と気合を入れてジロッと見るが、ほんのつかの間の一瞬しか、効果がない。
ゆっくりと体の向きをそちらに向けて、私は歩き出す。すると、チラッと私を見て静かになる。そのそばを、わざとゆっくり歩く。こちらをチラチラ見ているが、これじゃもぐらたたきだ。今度は私の離れたラインから聞こえてくる。女子がぼそぼそとおしゃべりをしている。脳裏に浮かぶのは、
「これは、おしゃべりさせない、と頑張ること自体がちがうのかなあ・・・」
ということ。
学年主任のクラスを見ると、なぜかふしぎに、みんな黙っている。
私は、ガクッと肩の力が抜ける。なんだろう、このチガイは・・・。