30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

We are the 99%。転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

2011年02月

ついに、S子が体育の授業を受ける!




隣の先生が、目をまるくして驚いていた。

「S子さん、身体、うごかしていたね!!」


S子がバスケットボールのコートの中で、ボールを追いかけて走っていたのだ。
たしかに、ボールには一度も触っていない。
シュートもできないし、なにか気のきいたことを言うわけでもない。

でも、みんなといっしょになって、コートの中を走っていた。


前の時間に、叱られてふてくされた。
体育館に並んでくるときも、一人だけ遅刻。
教室でいたずらをしてから、のそのそと現れた。


一度だけ、

「どっちのチームも、負けちまえ!」

と叫んだので、

「そんな言い方はしてはいけない!がんばっている人にかける声だったら、がんばれ、と応援するべきだ!」

と叱った。


その後、またふてくされて、コートの外でわざと足を出して、

「だれかひっかからんかな」

とやっていた。
だが、以前なら、S子がこわくて、いっしょになってやったり、笑ったりしていた女子の一部も、そんなS子に対して、あまりなびかなくなってきた。成長してきた部分もあるのだろう。あまりに子どもっぽいようなことには、流されなくなってきた。



「周囲が成長してきて、S子が孤独になっていくか、あるいはひどくすると、孤立し、いじめられる側にまわる危険もあるかもね」

と、コーディネータの先生がいつかおっしゃっていた。

「それはないでしょう」

と即答したが、(あまりにもS子が横暴で、啖呵をきるときの迫力がすごいから)
でも、今日の女子のちょっとしたそぶりをみると、もしかしたら、それもアルかも、と思えてきた。

結局、まわりがのってこないと、S子のパワーは半減する。
教師の仕事は、S子と周囲の子を分断することだ。
周囲の子をとことん誉めて、認めて、気持ちよく過ごさせてあげる。
さまざまな力をつけて、自信をつけさせてやる。

そのうえで、S子が憎まれ口を叩いても、話が合わないようにさせてやる。

それが一番上策かどうかは分からない。
もしかするとそういった友達どうしの関係が望み通りにならないので、余計にストレスを感じて、荒れていくかもしれない。

でも、いたしかたない、とも思う。クラスの大半の、他の子のことを思えば・・・。



S子はすでに反抗挑戦性障害、とも見受けられるほどになっている。
それが、みんなといっしょにバスケットボールがやれるようになってきた。

夏までは周囲の子どもたちもどうやって関わったらいいか迷っていて、クラスの女子を脅して言うことを聞かせたり、わがままを押し通す態度がひどかったので、コーディネータの先生に相談すると、

「説教は逆効果。意味ない。少ないルールをつくり、守りきらせてほめる。守りきらせて褒める、のくりかえしかな」

だと教わった。


その後は、授業は全部、免除。
2年生くらいのプリントを用意してやった。それを、やっていればなにも叱らず。
読書もまあ、いいとした。
叱るのは、クラスのルールをひとりだけ、公然とやぶったとき。

・しずかにしなくてはいけないときに、静かにしていない時。
・ひとの悪口を言った時。
など。

でも内心では、それもS子にはきつかったのだろう、と思う。
S子には、もっともっともっと、ハードルを下げてやらなくてはいけなかった。
結局、5年生の通常学級では、ストレスが多すぎたのだ。

ともあれ、S子は特別支援への通級を視野に置いて、取り出し個別支援の対象となった。
また、図工も家庭科もやらないが、ただ体育だけは、なんとかみんなといっしょにやろう、という気になってくれている。

素直に、今日のS子をみて、うれしかった。これが、教師のだいご味、というものだろう、と思った。




算数障害




算数のLDがうたがわれている子がいる。

理科は得意、暗記もできる、カタログ的な知識ならとてもたくさん知っている。

だけれども、5年生の算数はからきし。

よく振り返ってみて調べてみると、3年、4年あたりからがまずい。
分数が、よくわかっていない。

体積や割合をしばらくやっていて、分数から離れていたら、






「2分の1」

これが、読めないようにまでなっていた。

本人いわく、忘れちゃったんでなく、ちょっと自信がなかったので、ちょっと考えていた、というのだが・・・



そこでいろいろと学校の先生たちと話をしていると、本校のコーディネータの先生から、

「算数障害」

という言葉を教えてもらった。

広く言えば学習障害、LDのことだが、その中の分類の一項目に当たる。

読み書きについては、前にも書いたが「ディスレクシア=(読字障害とも)」などがあるが、それの算数版だ。


S子に言わせると、算数は「わけわからん」


なにが、というと、S子なりの言い分があるのだが、一例を挙げれば、

「~より多い、とか、~より○個少ない、というがわからん」


おそらく、このような面倒くさい言い回しが、イヤなのだ。
だって、それが算数だもの。
と思うが、この言い回しが独特で、もってまわった感じがあり、すっきりとしていないのだ。


あと、S子が間違えるのは、数字の順番だ。
おっちょこちょいのJくんもよく間違える。

345を、354、と書くようなことだ。

また、2+2=4 という計算を頭でしていて、実際には答えの欄に、「2」と書くようなこと。
指でさして、

「これ、こうでいいの?」

と聞くだけで、

「あ、まちがえとった」

と直してくれるから、本当におっちょこちょいなのだなあ、と思っていたが、おそらく短期記憶の弱さとも関連があると思う。


あとは、一度そのパターンが身についてしまうと、それで押し通してしまって修正が効きにくい、ということ。

1    1
― + ―
2    2

という分数の足し算を、分子同士、分母同士、両方とも足し算をしてしまい、すました顔をしている。

こたえをきくと、





という。


意味を図に書いて確認しようとするが、この数字の並び、表情と、図での説明とがなんで同じ意味を指すようになるのか、相当に違和感を持っている。

算数の世界では、このようなルールなの。
分数とは、こういう意味なの。

と説明するが、それを飲み込むのに、かなり苦労を伴うようだ。


S子は、字も1年生レベル。
作文も書けない。(自分では)

こうした国語のスキル、とくに作文のスキルとも同じところの障害、関連のある障害だと思う。

教師としては、もっともっと視覚的に、直感的に、算数を理解できるようにしていく努力が必要だろう。通常学級でも、もちろんやれることはあるのだ。(一方で、特別支援への道筋も大事で、それはそれでもちろん行います。誤解の無きよう・・・)




保護者との面談を加速 5年生




3学期も末である。


今週は、忙しかった・・・・。

この時点で、もっとも急がれること。それは、今年度中のWISC対象者に、しっかりと道筋をつけてあげることである。
来年度、特別支援の学級に行けるのか、どうか。
個別支援の方法を、保護者と詰めていく必要がある。
もちろん、WISCの結果だけでは、保護者もなんのことやらわからない。保護者も納得する道筋と論理をもって、特別支援につなげていく方策が必要である。

そうでないと、最終学年の6年生になってしまう。
さらに、6年生の間には、中学校を見据えた進路相談を行っていかなければならない。
両親が、ともに、特別支援を了承しなければ、中学校での支援もできなくなる。
両親が1年間の間に、もっといえば9月までの半年の間に、どれだけ「特別支援に対する理解」を深めてくれるか、そこを進められるのは、担任の努力とコーディネーターの力量との相乗積だ。


一般的な学級での上記の取り組みは、どの程度必要なのか、わからないが、今年度のわたしの学級では、この1年間にWISC検査を受けた子が3人いる。どの子も、学期末、学年末を控えて、両親との話し合いが大詰めを迎えている。


そう思って、まず一人目の保護者との面談を月曜日に実施。
夕方5時に教室で面談。
学校や教室での適応不足、本人の苦しい点をお伝えしたかったが、WISC検査をしていただいた先生と保護者との間で、「家庭での子育て支援」をメインに話が展開してしまい、学校での課題はあまりクローズアップされない。ただし、そうはいっても個別支援をしばらく続けてみたい、という点で親の了解を得ることができた。次は、個別での学習が、集団での学習よりも相当な効果をあげられる、という点の資料を集め、その子の実感としても、
「わたしは教室でみんなといっしょにやるよりも、一人で先生と一対一で教えてもらうと相当理解できるのだ」
という満足感を得てもらおうと思う。
そうすれば、来年度も、おそらく「個別対応」にスムーズに入れると思う。
親も、「なぜうちの子だけ、個別対応なのか」ということについて、納得されていれば、抵抗感は無いだろう。

さて、今週はこれで終わらない。
火曜日、WISCの結果を別の子の親にお話しする。
WISCの検査をしてくれた別の機関の先生が都合でお越しにならない。
担任とコーディネーターの2名が、保護者に伝えた。
保護者も、子育ての方法で悩んでいるところがありそう。そこに共感しつつ、医療、という新しい手立てを伝える。

いきなり「医療」と言われても驚いてしまう保護者もいるが、今、医療という場が教育という分野ととても近い関係にあることを説明しながら、

「その子の特性をしっかりと把握していきたい」

という点で、両親と医療との接点、学校との接点をさぐっていく試みだ。
火曜日の面談も、まあまあねらいを達成できた。

さて、水曜日。3人目。
この日は、WISCを受けた結果をご報告した後の、2回目の面談となる。
結果が相当に厳しかったことを理解していただいているので、今回の相談でもって、すぐにでも特別支援学級へ、試しに通ってみることに同意していただけた。


WISCの検査用紙も、だんだんに見慣れてきて、コーディネーターの先生と資料をいっしょに見て、かなり話し合えるようになってきた。
うちのクラスには、数唱が大得意な子もいれば、本当に苦手な子もいて、さまざまな傾向が計れるのだなあ、と思う。
WISCが?から、?に変わることも、コーディネーターの先生に教えていただいた。


さて、木曜日。
この日はいじめの加害者側に立ってしまった子の親から、子育て相談。
両親ともども、「ぜひうちに来てお話を」ということであったので、夕方から家庭訪問。
お父様もお母様も、真剣に悩んでいらっしゃるところに、私なりの意見を伝えた。
しかし、その夜、気になって学校へ戻り、校長先生に相談すると、私の意見とまたちがった意見をされたので、それもそうだと二度、家庭訪問。夜の9時まで話し合って、だいぶ方向を見出すことができた。


で、今日。
今日はまた事件が発生。
つづきはまた。




昇降口に 雪のかまくら




登校すると、子どもたちの昇降口(玄関)に、でっかいかまくらが。
雪が大量に降った。
雪かきをしよう、と早く登校してくれた5年生。

ところがそれが、雪かき、でおわらず、いつの間にか、
雪合戦、
かまくらづくり
になっていってしまう。

まあ、子どもだもの。自然と言えば自然か。


かまくら、というのは小さなマイホーム。
ようやっと一人が背中からもぐれる、といった大きさの、小さなもの。
しかし、変わりばんこ、順にもぐってはキャッキャとよろこんでいる。

大人も家を建てるのが好きだもの、子どももそうなのだろうかなあ。

どの子も満足そうに、チャイムを聞いて、昇降口から入っていく。

雪のかまくらは、給食のときにも、のこっていました。
日陰の雪は、本当に溶けないねえ。

ともあれ、図工、と称して、4年生の先生方はふたりとも、


「雪の造形遊びです」

とかなんとか、ずっと遊んでいたが・・・。



雪がふると、子どもたちもどこか、いつもとはちがったテンションで過ごす。

おもしろいねえ。
唱和の頃、自分の頃と、まったく変わらない。

30年以上すぎても、人間ってそれほど、変わらないようで・・・。




5年社会 水俣の学習でアイリーンさんの写真をどう活用するか




水俣の公害について。

学習するのは、5年生の後半。

子どもたちに、当時の混乱(現在までつづく)と、決してくりかえしてはならない、という学習の根幹を学ばせるために、これまで写真の力にたよってきた。

わたし自身も、美術館や展覧会で目にしてきた、アイリーンさんの写真がまっさきに思い浮かぶ。
「入浴する智子と母」(Tomoko in Her Bath, 1971)
である。


ところが、この写真を子どもたちに見せて学習させようと思っていたのだが、
思わぬことを学年主任の先生にうかがった。
それは、
清里フォトアートミュージアム友の会・会報11号(2000年11月10日発行)に掲載された、
「入浴する智子と母」に関する写真使用をめぐって……
──アイリーン・美緒子・スミス氏インタビュー──の内容のことである。

この写真の被写体になっている上村智子さんを、休ませてあげたい、というご家族の思いがあるのだ。

これを知り、授業に使うのはどうかと考える日が続いた。

写真集はあるし、これを読むこと自体は問題のあることではない。
また、子どもたちの目にも、どうしても触れる。
積極的に資料として使うことが、果たしてご家族の思いと、ずれを生じていることはないか。


昨年、5年生の子どもたちと学習を進めた折には、パワーポイントの資料の最後に、この写真をもってきて、
「授業の感想を書きなさい」
とした。
子どもたちは、ノートにそれぞれの感想を書いて終わる。

智子さんのことを、水俣学習のひとつの山場と考えていた。

今年は、どうするか。


先の資料を読んでいると、なかにこんなくだりがあった。

例えば、既に出版されている教科書に掲載されたあの写真を子供が見た時に、もう出版されることはないのだと知ったら、あの写真は違うパワーを持つと思います。わざとそうしているわけではないのですが、ただ、簡単には見られないのだから大事に見ようとか、なんでもう見られないのかな、と考えるきっかけになると思います。(引用)


これだ、と思った。

そして、今年の授業は、同じように写真を見せたが、それで終わらず、

「この写真は、まだ完成していないのです」

と語り、子どもたちの不思議そうな顔に、

「この写真自身は完成品じゃないのです。この写真がパワーを持つならば、それを見たあなたの心に残ったものがパワーになる、パワーを作るのはあなたで、だから写真を見ることは受け身じゃない。見た人の数だけ、無数のパワーが生まれてくる。」

と付け加えた。




無言の掃除の世界




無言の掃除の取り組みが、今年度から始まっている。
勤務校では長年、「無言の清掃」は無理だ、となっていた。

「うちの子たちに、そんなことは無理だろう」

というのが大勢の意見で、「管理」教育を思わせる「無言」の指導はしたくない、という年配の先生たちの後押しもあった。

ところが、前年度の生徒指導担当の先生がかなりのやる気で、無言の清掃をやりはじめたのだ。


その先生の指導はすばらしく、今の6年生はほとんどが無言で取り組んでいる。
無言の清掃姿は、いつもわんわんとうるさい教室に慣れている耳には、とても新鮮に映る。
すばらしい!と、思わず感嘆のため息が出るほどだ。


さて、それを自分の学級になんとか定着させたいのだが、それが難しい。

「無言清掃!だまって、たくさん、身体を動かす!」

と言いながら、廊下や教室を見て回るが、そんなことが定着するのはかなり先のことだろう。


隣の中学校では、そうじの時間になると、全員が廊下に正座するらしい。
そして、沈黙。


廊下の両側には、黙ってすわる、生徒の列ができる。
ここは京都の寺か、と見まごうばかり。

しばし沈思黙考の末、
「無言の清掃をやれる!」
という機運が自分の心の中にできた、と自覚できた者から、いざ掃除にかかる、という。


これを5年間続けていると、学校の雰囲気ががらりと変わり、すっごく素直な中学生が増えてきた、らしい。

無言の清掃の力たるや、その話をきいているとおそろしい気もしてくる。

しかしまあ、坊さんの世界もそうだし、○○教でもそうだし、○○学園もそうだし、イギリスのハイスクールの寄宿舎でもそうだというし、「清掃・そうじ」というのは、人格形成をする上でかなりのウェイトをもつ、すぐれた実践なのかもしれない。

いつも鼻高々の、いばった風のS子ですら、ぞうきんもったら頭を下げて床を見ているし、

「あたまをさげる」

という具体的な行為をするだけでも、すごいことかもしれない。



森信三先生も、「くつをそろえるときに、頭を下げる姿勢になる。それが大事」みたいなことを言っていたような気がする。

つまりは、形から入れ、ということなのか。
そうは言わないまでも、心と形は大きな影響と関連がある、ということなのだろう。
電機と磁石、のよう。(今、電磁石をやっているので・・・5年生、・・・おそい!)




近所の公園坂道でソリ遊び




近所の公園へ出かけた。
りんご畑をみおろす丘にある公園に着くと、ほとんど人の気配がない。
昼下がり、いいお天気。
みなさん、スキーにでも行かれたのだろうか。

ほぼ貸し切り状態の公園の広い駐車場の奥に、林道があり、現在は通行止めになっている。
その坂道が、ぜっこうのソリ遊びポイントだ。

車は来ないが、いい感じのなだらかな勾配がつづき、ソリのスピードが出る。
雪も林道の杉の木の陰はほとんど溶けのこっており、ほんわりと雪のつもった状態だ。

さっそく6歳になる息子とそりですべると、思いのほかスピードが出て、歓声をあげた。

「こわいから、途中からやろうね」

坂道がつづくから、もっと上からでもできる。
スピードが出るから、途中からね、とした。


ところが男の子は、だんだんと遊びをエスカレートしたくなるものだ。
自分の男だからわかる。

「もう少し、上からやろう」


最後は、ほとんど坂道のカーブぎりぎりまで登り、そこから一気にすべった。
50メートルはあると思う。かなりのスピード。

ところが、それでも飽き足らない。

「ジャンプ台をつくろう」


道の途中に、雪をかためた。
そこをジャンプするのだ。
ためしにやってみると、30センチくらいは浮き上がる。
横から見ているとそうでもないが、いっしゅん、フワッと浮き上がって視界が変わると、スリル満点である。

こんなことをつづけて、2時間ほどたっぷり汗をかいて遊んで、ひとりも出会う人がいなかった。

妻は、

「こんなところであそべるなんてねえ。もったいないから、みんなに知らせよう」
と、メールをしていた。


スキー場へ行ってそりで遊ぶのもいいが、とことん楽しむなら、近所の公園も穴場だということがわかった。

新潟の友人から電話があり、大雪で毎日家族で雪かきしている、と言っていた。
学校でも職員が総出で玄関前を雪かきするのだそうだ。

雪遊びに興ずるこちらの地域とはまるで様子がちがうし、こういうところへ書くのも少し憚られるような気もする。

スキーウェアはほとんど毎日使っている、という息子の日常を考えると、昨年までの都会暮らしとはまったくちがって、冬の暮らしを満喫している気がする。


洗濯機の排水できず、凍結が原因で修理に出すことになった。
代償も、もちろん、ある、ということ。
人生、いいことは2つはない、らしい。




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