30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

We are the 99%。転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

2010年01月

腰痛対策の究極策は




腰痛対策のために不眠不休で検索をつづけた。
田舎の母や父に電話していたので、お店に来るお客さんに聞いた情報、というのも飛び込んでくる。(ちなみに喫茶店を経営している)
ありがたい。息子の腰痛がかつてない広報力で広まっていることに、なんら引け目を感じないらしい。

「あんたの腰痛のことで、お客さんが本をもってきて・・・」
「温めた方がいいって人とね、冷やす方がいいとかいう人もおって・・・」

いろいろと情報を寄せてくれるのはありがたいが、肝心なのは、椅子、である。
今は目下、いすのことで脳がフル回転しているのだ。
しかし、喫茶店のお客さんと一日中、腰痛の話をしているのはちょっとかわいそうで、母に同情する。

「もういいよ。椅子のメーカーの社長さんとかがもし来たら、聞いておいて」

「わかった」

そんな社長さんが田舎の喫茶店に来るとは思わないが、そこを「わかった」と引き受けるあたりが、親心であろう。泣けてくる。

あとは、大都会に暮らす20代のころの知人で、中国で鍼灸を習得したという漢方のプロ。
彼に、料金を払うから自宅に来てくれ、と頼んでおいた。
「OK。フルセット、持って行ってやるよ。すべての漢方を処方してやる」
これまたありがたい話。
しかし、私が知り合った若いころは大ぼら吹きの変人だったから、先のセリフもこちらの窮状を半分おもしろがっているとしか思えない。
でもまあ、ありがたいことだ。感謝。

さて、両親や家族までを巻き込んだ腰痛騒動が、その後どんなふうに進展したか。
実は、あっけないほどまでに、今、ナイスな感覚でこのPCに向かっている。
答えは、検索で見つけた、

「腰痛 バランス」

のキーワードで導き出された。

私としては、バランスチェア、というのを調べていたのだが、そこになんと、

「腰痛 バランスボール」

というページがヒットしていたのだ。
偶然クリックすると、そこに

「腰痛で椅子をさがしあぐね、たまたま家にころがっていたバランスボールにすわって事務仕事をしたところ、これが具合がよく、すっかり腰痛が良くなってしまった。」

という方の文章を発見したのだ。

ねだんを見ると、1800円。
2000円以内、である。
近所の30分マッサージと同じくらいの価格でもって、椅子が購入できるのなら、と心がときめいた。

だってつい先ほどまで、この腰痛のためなら、5万や8万、10万を超える価格の椅子を購入しなきゃならんのか、と眉をしかめて悩んでいたのだもの・・・。

これに、決定!



そして、休日をいいことにさっそく実行し、ホームセンターでたたき売られていたバランスボール、アルインコの65センチ、を購入してきました。


今、そのボールにすわってこれを撃ち込んでおります。
こうしてキーボードをたたきながら、ゆらゆら、ゆれるともなく揺れている感覚。
おしりは決して、いたくありません。(やわらかいボール)
しかし、弾力があるので、沈み込んで姿勢が悪くなることもありません。
太ももの裏も痛くない。
貧乏ゆすりをしているようで、ストレッチをしているような・・・

一番のきわめつけは、背もたれがないこと。
長時間は無理かもしれません。
でも、腰はまったく痛くないです。
つまり、<不断:ストレッチ状態>だからだろう、と思います。

事務机の中にも、ボールがすっぽり入ります。





問題点は、長男5歳が、目をまるくして、

「パパ、勉強してないよ。ボールで遊んでるよ!」

と妻に報告したこと、くらいでしょうか。
職員室の椅子もみんなボールにしたら、退勤時間も早くなって、よろしいのではないでしょうか。




腰痛に具合のよろしい椅子を探す




教師の仕事をする前は、システムエンジニアだった。
深夜までPCに向かう毎日。
頭がふらふらになって、帰宅する。
ふとんにつっぷすように寝るだけの毎日。
腰痛がおそってきたのは、そんな不摂生と、姿勢の悪さ、長時間にわたり椅子に腰をかけて立ち上がらない、という生活スタイルに原因があった。

教師になり、毎日立ち歩くようになる。
これは、腰痛によろしい。
同じ姿勢にならない。
それで、これまでほとんど、腰痛とは無縁できた。
教師になってよかった~!だって、腰痛からも解放されたし・・・

と、思っていた。



ところが!!!

つい先月くらいから、寝ている最中に痛みを覚えるようになってきてしまった。
寒さかな、と気にしていなかったが、職場でも痛むので、さすがに整形外科に行った。
腰椎のクッションが、どうやら痛んでいるよう。

きた!!

やばい。
腰痛が、復活してきたのか・・・
あの痛みを思い返すと、なんだか目の前が暗くなる思いでありました。

そこで、どうやって治すかいろいろと探っているところなのだが、とりいそぎ、現在まで使用していた立派な事務椅子を処分した。
これは、広い座面であぐらもかけた。このあぐらが、いけない。
そして、座面のスポンジ。このやわらかさもいけない。
見ていると、こいつのせいだ!と思いたくなるような椅子だった。
椅子をみているうちに、こいつのせいだけでもない、とは分かっていたものの、気分で処分してしまいました。

そして、ネットで調べたり、知人に聞いたりしてみるものの、悩みは増すばかり。

○10万円以上の立派な椅子で、さまざまな調節ができるもの
○バランスチェアとよばれるアイデア椅子
○アーユルチェアとよばれる、坐骨ですわる椅子
○ハラチェアとよばれる、座面の割れているアーユルに似た高級椅子

といったあたりを、ぶらぶらと見たが、さらに悩みが増す。
つまりは、座ってみなけりゃわからない。

しかし、そんな座ってしらべる暇はなし。
春には引越しだし、土日はすでに多くの事柄で埋まっています。

すると、アーユルチェアだけは無料で試すことができる、と分かった。
郵送で、タダで送ってもらえるらしい。
まよわずボタンをポチっと押して、頼むと、きたきた、届きました。
でかい箱の中に、椅子が。
わりと簡単に届いたな。

すわってみると、おお、いい感じがする!
これだと、意識して、背筋を伸ばして座りたくなる!
こうやってブログを書くのも、悪くない!

と思っていたが、座面が堅すぎるので、すぐに尻が痛くなって、ギブアップ。
また、気がついたらそのまま、例のごとく、いつものような悪い姿勢にもどっていました。
つまり、意識と気合がつづかなければ、アーユルでもだめ、ということ。

これでだめなら、その他でもだめだろう、という思いと、何かまだあるはずだ、というかすかな意地で、泣く泣く返却しました。
(そのまま購入だと何パーセントか割引だったのだけど・・・)

椅子さがしの記事。
教育とは一見無関係ですが、ちょっと続きます。
なぜかというと、わたしの学校には、腰痛の先生が10人いるから!!
(整形外科に通っているのが、6人います!みんなで腰痛の話で盛り上がれる職場!!!)




12万アクセスありがとうございます!




先ほど、12万アクセスになっていることに気がつきました。
ほとんどの方は、検索サイトから、「小学校教員免許」や「教員資格認定試験」や「採用試験」、「面接」などのキーワードから、当BLOGをご覧になっているようです。

教員になろうか、なるまいか、と迷っている方にとっては、少しの情報でも、その判断に役に立つのかもしれません。いろいろとこれまで気楽に書き続けてきたことでも、少し役立っているのかなと思うと、それだけでうれしいし、書いていて良かったと思えます。

見てくださる方、質問を下さる方、見えない縁でつながりを感じています。
どうかこの「教員」の世界に、希望を見出して、やりがいをみつけようとして、参画してくださることを期待しています。




そうじをサボる子への対応術




家本芳郎先生の著書を読んでいる。

そうじをサボる子を叱る場面。
叱るにもいろいろな方法があって、それを家本先生は以下のように分類された。

A 学校の規則に反しているぞ。
B 今はそうじの時間だと、いつも言っているだろう!
C 学校ではそうじも勉強だ!
D その他

Aは、校則管理からの発想。
Bは、しつけ論、感情論。
Cは、学校聖域論。
Dは、・・・


正解は、AもBもCも、すべて子どもの心には届かない、ということだ。

子どもを説得して、「説得された」状態にしてやらないとだめだ、という。
説得と説教はちがう。
子どもの言い分を認めつつ、「自分行為が良くない」と認識させるのだ。
だから、説得が必要、とする。

うまく説得するのに、あの手この手、といくつかの「語り」のワザを持っていなくてはならない。

では、なんといって「語る」か・・・。




家本先生の本は、「荒れ、問題を起こす子、学級」のエピソードが満載である。
読んでいて、実に真に迫る。ホッとする土日に、つらつらと読んでいくと、教師として過ごす自分自身を客観視できるような、隣からそっと肩をたたいてもらっているような、気分の休まる心地がする。




コスタリカの平和憲法




6年生では、国会議事堂を見学する。
当然、憲法の授業もする。

イ 日本国憲法は,国家の理想,天皇の地位,国民としての権利及び義務など国家や国民生活の基本を定めていること。

これが、学習指導要領に定められた部分である。

国家の理想、という点では、当然ながら「平和」への願いを込めていかねばならない。
そこで、日本と同じように武力を放棄したコスタリカのことを紹介することを考えた。


調べてみると、1949年に平和憲法を定めてから、コスタリカという国は「平和」の考え方を輸出する、という行動をたくさん起こしている。
近隣3国の内戦をやめさせる機会を提供し、大統領がノーベル平和賞を受賞したことから始まり、国連の平和大学を建設、維持するために費用、土地、その他を提供することなど、コスタリカが誇りとする「平和への活動」があり、それらをすべて、「国の誇り」として、小学校で授業し、教えているそうである。
(国連平和大学の本部キャンパスは、コスタリカの首都サンホセの西20kmのシウダード・コロンにある。コスタリカ政府が用意した面積3平方kmほどの敷地は平和公園および森林公園に囲まれている。コスタリカは軍隊がないという実績があり、コスタリカ政府の働きかけもあって本部はコスタリカに置かれる事になった。)

コスタリカが平和憲法を持っていることは知っていたので、それを授業にすることを考えたのだが、そもそも、どうして、平和憲法を導入するようになったのか、日本に習った、ということだけでなく、コスタリカの人々が自分たちで国の憲法としてつくろう、と考えるにいたった経緯が大事だろうと思って、調べた。

すると、次のようなことが分かった。
つまり、コスタリカも、他の中南米諸国と同じように、内戦を起こしていたらしい。
そのときに、内戦から立ち直って、反省する時期が来る。(これは日本も太平洋戦争後に猛烈な反省の時期が起こるが、同じだ。さらにいえば、世界をだましてイラク攻撃に走ったブッシュ政権の反動と反省が、今日のオバマ政権と「核兵器廃絶」への動きにつながっている)

コスタリカはその反省の中で、なぜ同じ国民同士が争ってしまったのか、武力で攻撃し合ってしまったのか、と話し合い、結局それは、軍人がいたからだ、という結論を導き出した、というのだ。
民衆が軍人をかつぎ、軍人が武器を持って攻撃すれば、やられた方はそれに必ず応戦する。必ず、だ。応戦しない軍人はいないだろう、と。
だとすると、武器を持てば、必ず報復があり、平和が遠のく。自分たちは平和を手に入れたいのに、平和が遠のく手段をとることが間違っていたのだ。つまり、軍人がいたことが問題なのだ。民兵も軍人だ。民兵は、ふだんは民衆なのに、武器をもつと、たちまち軍人となる。悪いのは武器だ、ということになったらしい。

そこで、コスタリカは国をあげて、次のようなスローガンをうった。

「兵士の数だけ、教師を作ろう」

つまり、武器をなくして、その分の予算で(当時は国家予算の3割が軍事費だったらしい)、教育に力を注ごう、と。

そして、実際にそうするところがまあ、すごいのだ。

さらに、次のようなスローガン。

「戦車より役に立つのはトラックだ」

現実、日常の暮らしの中で役に立つのは、戦車でなくてトラックだ。
これは人々の実感で、よく理解できる。


そして、国連に提案して、国連平和大学をつくる。
また、日本がヒロシマ・ナガサキの反省をもとに、世界核廃絶の提案を国連でしたときにまっさきに賛成し、一票を投じたのはコスタリカであったそうな。

コスタリカの憲法と、日本国憲法を比較する授業がつくれないかな、と思う。




体育授業 サッカー




体育でサッカーをはじめた。

基礎感覚をつくるために、ボールにいろいろなさわり方でさわる。
足の裏でさわるパターンをいくつか繰り返して、これまでボールを満足に蹴ったこともない女子にも、なんとなくサッカーらしい足の動きを体験させた。

トラックの中をドリブルしていらっしゃい、というだけで、多くの子が満足そうに飛び出していく。

「先生、シュートするの?」
「まだまだ」

シュートは男子が得意そうにやりたがるが、まだまだ。おあずけして、ドリブルに集中させる。
コピードリブルなどを何度かしてから、

「3つのゴールに、シュートをして帰ってきなさい」

とした。

これはほとんどの子が、クリアして帰ってくる。
シュートを決めてきなさい、とは言わない。
一回けったら、それでシュートです。はずれても、すぐに次のゴールへ行くのです、と最初に言っておく。

次に、校庭に3つあるゴールを使って、3グループに分け、それぞれシュートの練習をさせた。
これだけでは飽きるかな、と思いきや、これがだんぜん面白いらしく、

「決まった―」
「ゴーーーーール!!」
「はずしたー」

と、えんえんとやっている。
そろそろかな、と思うが、まだやろー、という声が聞こえる。
わたしが太鼓を鳴らそうとする動作を見て、あわてて、声を出した子がいるのだ。
なんともタイミングがいい、というか、よく私を見ている!!

すると、だんだんと、ゴールキーパーがいないと、ということになったらしく、各チームでキーパーをする子が出てきた。

「先生、キーパーつくりたい!」

許可すると、さっそくチーム内にキーパー候補が出てきて、しっかりやっている。
これが、なかなかうまいのだ。見ていて感心する。

それに、ナイス!とか、ドリブルして蹴れ!だとか、なんだか声を出してしっかりやっている。
プロの試合でも見ているのか、指示の仕方も、指でさしたりしてなかなかのものだ。
また、とっさに足を出してゴールを防いだり、パンチングのように弾いたり、うまいのが3人もいた。
3チームつくって、3人うまいのがいるから、これはおもしろくなってきたゾ、と思う。
あと1チームつくれば、4チームで対抗戦ができる。

しかし、・・・・ここが考えるところで、
全員ドリブルして参加できるゲームにしたいという思いがある。
だとすると、キーパーはおかないで、どんどん点の入るルールにして、ゲームをしたい。

どうしようかなあ・・・




朝から険悪な・・・




ちょっと自分の中で新しい感覚があったので、書いてみる。

朝、教室に入るやいなや、いやな感覚。

一人の女の子が泣きそうで、女ボスがまわりで口をとがらせて何か言っている。
腕をつかんで、黒板の前にひきずりだそうとしている。

私の姿を見ると、ボス軍団の5,6人が顔を見合わせて、廊下にスーッと消えていく。
泣きそうな顔をしている女の子が、安心したのか、私の顔を見て泣きだした。

周囲で見ている子たちに、すぐに助けを。

「どうした?何があったか、教えて!」

ところが、見ていたはずの子たちが、ちょっとしぶっている。
どうやら、その見ていたはずの子たちが、泣いている女の子ともちょっときまずくなっているらしい。

一番弱っている子の味方をするのが教師。

とりあえず、教室に戻ってきた女ボスたちの話を聞くと、
○ボスたちの踊っていたダンスを簡単だ、と言った
○そして、下手なダンスを踊った
○それがあたかも馬鹿にされたようで、腹が立った

ということらしい。

腹が立っているボスたちがかわいそうだが、とにもかくにも、頭の中身が天地逆さまにひっくり返ってしまっているボスたちに、

「そうか、そういうことで馬鹿にされたと思ったのか、それで腹を立てているんだよね」

と共感。

かわいそうに、という気持ちが湧いてきた。
これが、一つ目の、「おお?なんでこんな感触が湧いてきたのかな」という発見その1、であった。

通常、ボスが険悪な表情で口をとがらせているとき、私は「やれやれ」とか、「なんでわかってくれないんだ」という気持ちで接していたため、ボスがかわいそう、という気持ちはなかなか湧いてこなかった。しかし、今日、

「そうか、それで腹を立てているんだね」

と言った瞬間、あわれ、というか、人間の業、といったものを感じて、なんだか親しみが湧くと同時に、人を愛せないって苦しいよね、という気持ちが湧いて、同情というか、素直に「かわいそうに」と湧いてきたのだ。

次に、おもしろかったのは、

「そうか、それで腹を立てているんだね」
というフレーズを何度も繰り返していると、ボスたちがだんだんとヒートアップするかと思いきや、クールダウンしていくのがわかって、おもしろかった。
これはなぜか、分からない。単なる「共感による好影響」、と考えていいか、まだ奥があるような気がする。

さらに、

じゃあ、踊ってみなよ!と強要され困っていた女子をかばって、

「簡単そうに見えたんだよ。でも、実際にやってみろ、といわれても踊れないくらい難しかったんだよ。みんなのように、素敵には踊れなかったから、今踊れって言われても、踊りたくないんだよ」
というとき、私の表情が、やわらかく、にっこりできたのが不思議だった。
これは、おそらく、さきほどの共感なり、同情なり、親しみの情が湧いてきた結果なのだと思う。ボスたちに対し、「あわれ」という情が湧いてきて、その結果、私の表情にもそれが表れてきたのだろう。

ニッコリ笑って、そう繰り返していると、だんだんとぶつぶつ言っていたのがクールダウンしていった。

それから、効いたのは、

「もう許してやってよ。そこまで追い詰めなくてもいいじゃない?もう、考えも変わったんだ。簡単じゃなかった、むずかしかった、すごいな、と思えているんだから。」

という中の、

「もう許してやって」
という言葉だ。

この言葉が、ボス軍団の中の、おとなしめの(本当はいい子)たちの心に響いたらしく、

「まだ許さない!」

という強さを誇示するボス以外の取り巻き連中は、

「もういいか」

という顔になりはじめた。
もともと、そこまで意固地になる話でもなく、自分が悪者になっていくつもりもない取り巻き連たちにとって、

「いつの間にか、ひどい鬼のような女の子になる状況」というのは耐えられなかったのだろう。

男子も見ている中、許さない!と吠えている姿が、みっともない、かっこわるい、鬼のようだ、と冷静に見えてきたのだろうと思う。

そのうち、強く「時間だよ、授業はけじめだ、きっちり始めるよ!」と言うと、ホッとしたように取り巻き軍団が席に着き、その姿を見て、女ボス2名も、仕方なく席に着いた。

それをみて、どっと疲れた、という気持ちがこれまでなら湧いてきたと思うが、驚いたことに、正直あまり疲れない。疲れた感があまり、ない。
これも、なにか不思議な気がして、どうしてなのか、これから追究してみたいことだ。

おそらく、ボスたちがかわいそう、と思えた、人間らしい弱さをもっている(腹を立てる、ということのパラドックスに気付かない弱さ、腹を立てることにまきこまれていて迷っている哀れな姿)彼女たちの実態に触れて、彼女たちもまた、困っているのだ、という真実に触れたからだろう。

みんな、困っている。
本当に。
ひとのせいにして、そのことで困っている。

としてみていくと、なんだかそれが、「どうしようもないこと」ではなく、「ただ迷っているだけ」に見えてくる。
おそらく、その余裕なのだろう。今日の、自分の心境の変化は。

こういうことがあった直後というのは、案外、クラスはシーンとしている。
授業が淡々と進む。

子どもなりに、思うことがあるのだろう、と思う。




書初め大会




本日は書初め大会。
主任のあいさつが印象に残った。

場所は、寒い体育館の中、である。
寒さ対策として、ガスの大型暖房機がぶんぶんうなっている。
それが、2台。
熱風が吹き出てきて、体育館の中央に向かってしきりとあたためている。

しかし、寒さのほうが勝る。
じんわりとした冷たさが、床から伝わってくる。

「書初めは、今日のような寒い日がいいのです。」

と、主任は話し始めた。
こわい主任先生だ。
いつもとはピリリとちがう雰囲気で、子供たちも神妙に聴いている。

「寒いなあと思うような日に、心を沈めて、気持ちを集中して書くから、一年に一度、一番いい字が書けるのです。」

なるほどな、と思う。

「おまけに、昨日は雨でした。すこしみぞれにもなりました。だから、湿度がありますね。」

湿度の話が、何の関係があるのだろう、と思わずにいられない。

「湿度があると、日本の文化は生き生きとするのです。墨を擦るのも、こういった湿度のある日の方が、きれいにうまくいきます。竹や炭、紙。そうした日本の文化を支えるものは、湿度がある程度あるからこそ、きれいにいくものが多いのです。」

こんな含蓄のある話が聴けるなんて、と朝から少し得した気持ちになった。

なるほどなあ。
日本文化は、湿度の文化か・・・。

今日は、いちばんいい日です。
心をしずめて、落ち着いて、心のこもったいい字を書いてください。

時間はあります。
じっくりと、ていねいに、取り組むいい日にしましょう。



こんなあいさつができるくらいになりたい。

主任先生の、底力を、感じ取った日になった。




同僚の結婚式へ




職場の同僚の結婚式に出た。

正調の結婚式。
いろいろなことが段取りよく、気持ちがよかった。
心配りが行き届いていた。

ともによろこぶ、という行為の、なんと気持ちの良いことか、としみじみ感じた。
自分のことだけでなく、他の人を、祝い、よろこぶ、ということの。

いろいろな願い、思い、念い、そうしたものが、すべて「祝福」というメッセージとなって、会場にうずまいている感じがした。

これは、すごいなあ、と思った。
その式が、というよりも、人間の、なかば普遍的な行為として、祝う、ということが。

祝う、は、ウソではできない。
祝う、は、気持ちが無いとできない。
気持ちがあれば、祝う、はなんと豊かに広がっていくことか。どこまでも、笑顔がひろがっていく気がする。


祝える間柄でいたい。
そういう間柄で、やっていきたい。
祝う、をさせてもらえる、自分でありたい。
式に、招いていただいた。
運と巡り合わせ、縁で、今回は、招いていただいた。

ありがたかった。


結婚式、披露宴の会場の、スタッフの仕事が、すてきに思えた。
こういう仕事って、いいなあ。

そして、進行する係の、こまやかなこと。
笑顔が、いい。

新郎新婦が、ふと不安になってそちらをみると、

「それでいいですよ」

というような、本当にいい笑顔で、新郎新婦を安心させている。
すばらしい。これが、プロの笑顔だ。

進行する人の、顔をみると、いわゆる裏方だ。
裏方として、でも、新郎新婦が、頼みの綱とする人だ。
このふるまいでいいのか、このタイミングでいいのか、ちら、ちら、と見る。
それを、

「いいですよ、ばっちりですよ」というような笑顔で、小さくうなずいて、合図を送り、よかったですよ、と見送る。そして、それをさとられないうちに、次の進行にさっとうつっていく。

プロだなあ、と見とれていた。
プロの教師としての笑顔。こうでありたい。


結婚式。

新年の日の出に引き続き、こころが改まる、イベントがつづいた。




3学期を見通す「週案簿」記入




週案簿に、本日確定した3学期の行事関連一切をすべて書き入れた。
給食のことも、大掃除のことも、体力づくりのことも、卒業式のことも、すべて関連することをすべて書き入れた。

本当は、2学期末にやる仕事だったが、今回は冬休みに思わぬ「いろいろ」があって遅れてしまっていた。

今日、書き入れると、やたらに風景がちがってみえてくる。
また、癖がでて、自分の座っているところの大掃除をした。
妙なプリント類を一切処分すると、なんだかスキッとする。
頭の中と机の引き出し、机の上の書類だな、すべてがマッチングすることの快感に酔いしれた。

同時に、猛烈な勢いで、やることが見えてくる。
TODOリストを作成する。
これに時間をかけられないから、おなじみのロディアNo.12にかきなぐる。
もちろん、書かないでよいことがらもある。
すでに書類となっているものだ。
書類の1頁目をみるだけで、やることが頭にすっきり入る、というものについては、プリントのまま、平たい引き出しにほうりこんでおく。

TODOリストを作成したら、ロディアの位置は変えずに、パソコンの左下につっこむ。
座席に座ると一番、目につきやすい。(かつ、半分上側は見えないから人目につかない)

5分でできることを探す。
5分でやれることを3つやって、20分後に学校を出る、と考える。
今日は整形外科に行きたい。
だから、5:30には出る。

5時過ぎた時点で、5分を3つ、と考える。
とりかかってしまうと大きい仕事も、5分やって途中でもおいておくとよい。
すると、5分で目鼻がつくものだ。
目鼻がつくと、あとはやってしまえる。
気が楽になる。

さあて、3学期だ。
やることを次々と。
仕事は追うもの。
追う仕事に死角なし。




九十九里浜の日の出




初日の出、ではなく、3日の朝です。
九十九里浜の真ん中あたり、大網白里海岸で撮影しました。

朝、6時に到着。
その後うっすらとオレンジ色の光が、帯のように水平線にかかっていきました。
日の出か?と思うのですが、そうではなく、徐々に地球の裏側から、海の向こうから、ぼんやりと太陽の明かりがしのび入ってくる、という感じの光です。



撮影の世界でマジックライン、マジックアワーというけど、そんな感じです。

写真は、7時すぎです。

久しぶりに早起きして到着した甲斐がありました。
海岸には、3日だというのに、望遠レンズを構えた人がちらほら。
犬を連れて散歩の地元の人もいて、広い広ーい浜辺を、ゆっくりと、それぞれのスペースを尊重しながら、歩いていました。

日の出を見ながら、2時間ほど。

妻と二人で、これからの引越しのことや、新しい土地での暮らしのこと、魅力のある先生方との出会いや、さまざまな覚悟のことを話し合う時間になりました。




ふくらはぎのコリ




ふくらはぎが弱点となって数年がたつ。
気がつくと、重くだるいような感覚があり、ちょっと疲れたな、と思うようになった。
それも、この数年で、かなり進行してきてしまった。

疲れた、という身体のサインだと思って、サインを感知すると無理をしないで早めに寝るようにしている。
それもあってか、まあまあひどいことにはならずにこれまできた。
一病息災というが、その典型だろう。

ところが、この正月に電気店へ行くと、マッサージコーナーの魅力的なこと!!
こんな商品がところせましとならんだ日本と言う国に生まれて、本当に幸運だとかみしめた。

足だけマッサージする機能のものもあれば、ひざから下を専門とする機器もある。
超豪華なのでは、まるでガンダムのコックピットか?と思うような、全身をこれくまなく包み込むようなデザインのチェアまであって、夫婦でそろって面白がってすごした。

いやあ、すごいです。
すごいことになっていました。
日本と言う国は・・・
高齢化社会というが、需要があれば人間の知恵はここまで結集するのか、というくらい。
これを発明し、工夫し、商品化するパワーがすごい。
そして、これに携わって、多くの人をよろこばせてくれている技術者たち。
すばらしい。

勢いでもって、パナソニックの手でマッサージする、簡便なタイプのものを買ってしまいました。4000円でお釣りがありました。
妻が、

「パパのクリスマスプレゼントにしてあげるね」

とお金を出してくれたのも、涙が出るほどうれしかった。
つくづく、わたしは幸運である。


それで!!
肝心な、ふくらはぎのコリですが。

これが、自分の刺激のほしいところへ自由自在に(もちろん当たり前で、自分の手で動かしているので)刺激を与えてくれるので、本当にうれしい。
強さも、かなりある。
この、強いのが、いい。
弱いと強い、というふたつしかモードの切り替えがない。
それも、いい。
いろいろある方がかえってめんどうくさいので、これでいいのだ。

買ったのは、パナソニックの、サスリバイブ EV2510P という商品。
このEduブログは教育関係の記事だから、今回はあまり関係ないが、これが効く!
教師は、立ち仕事?(まあいろいろな姿勢をとりますが・・・。体育の授業もあるしね)が多いし、ふくらはぎのコリに同じように困っている先生たちには、もしかして興味のある人もいるかもしれないと思って、書いています。

いいですよ。これ。
風呂上がりにやると、10分、15分、とたちまちすぎてしまいます。
そして、おどろくべし、足全体がすこぶる軽くなっています!
ひどいコリに悩んでいた人も、日によって凝ったり凝らなかったりの人も、強さも部位も自分で調節できる(というか、自分で機器を自分の体に当てるので、自分でやるしかない)このマシン、おすすめでっせ!!!

(家電芸人みたいになってきたナ)




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