30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

We are the 99%。転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

2009年03月

志ん朝CDを聞いて教師の技量を磨く




春休み。
子どもたちは休みでも、教員にとっては一年で最も厳しい時期である。

今日も学校へ行くと、

・要録整備の遅れている先生たちが必死で要録づくりをしている。
・異動の先生がご自身の荷物をたくさん片づけしている。
・新人教師が昨年度中の教科書をさがしまわっている。
・音楽の先生が次年度の歌のCDをパソコンでつくっている。

というような光景が見られた。

なかには、

「頭を真っ白にするために、沖縄へ行ってきます」

というベテラン先生もいて、そこは人それぞれのペース。
しかし、さすがベテラン。
教室は片付いているし、教科書や要録やワックスがけなど、やらなくてはならない仕事はしっかり終えられている。
すばらしい。

こういう段取り力、行動力、実行力をぜひ見習っていきたいものだ。
おまけにその先生は、来期は特別活動(特活)担当とのこと。
多くの資料などを、次年度最初の「職員会議」に向けて、すでにしっかり準備されている。

「あの先生は特別よね」

というセリフも、昼食時には聞かれたが、
他にも、ゆっくり休んでいる、といううわさの年配の先生も何人かいるから、やはりそこは経験の差もでるのだろうか。

昨年初任者の先輩も、必死になって要録のコメントを手書きしている。
先輩といえど、まだまだ20代の若手だから、何かと仕事の手際が悪い。

「さっきから、探し物ばかりしているんですよ」

泣きそうな声で、若い女性の先生。
半分、自虐気味なツッコミを自分に入れながら、まいったマイッタ、という感じで足早に教室へ。
そういえば、何度も職員室と廊下を行ったり来たりしている。


かくいう私も、二年越しの荷物を片づけたり、休日だというのにこのありさま。
他の学校の先生で、春スキーに行った人がいるらしい。
そういう話を聞くと、どうもこの学校だけ、とくに段取りが悪いのではないかとめげる気分にもなる。


夕方、家に帰ると、さっそく気分転換に落語鑑賞。
姉から誕生日プレゼントで送られてきた、「古今亭志ん朝ベスト」のCDをきく。

姉は、大須演芸場でかつて志ん朝の舞台を見て以来の大ファンだ。
その志ん朝が亡くなった時は、電話口にしんみりとした口調で
「かなりショック・・・」
と語っていたほどの人。

私が小三治の話ばかりするものだから、これでも聴け、ということなのだろう。


私は小朝さんが、この故・志ん朝さんのことをさかんにほめているのを聞いていたから、やはり何度か聞いてみたことがある。
一番聞いたのは、20代か。
志ん朝さんは、たしかにうまいし、おもしろい。ウマいのにもいろいろあろうが、この人の噺は、巧い、という感じだ。
しかし、20代の私は、
「小朝さんや、桂枝雀さんの方が面白いな」
と思っていた。


ところが、春の休日。
わたしは、その姉から送られたCDを聞いて、度肝を抜かれましたぞ。
教員になってから聞くと、志ん朝さんの偉大さが、ビンビン伝わってきました。

なにより、声がいい。
発声がいいし、トーンがいいし、はじめのつかみ、ぐいっと話にひきこむ力、すべてうまい。
登場人物の描写や声の使い分けもいい・・・

こう書いていて、ふと気が付きました。


この志ん朝師匠という人は、声が抜群に明るい のだ!!!


教師になってみると、なんだか気づく。

客をぐいぐい引き込むこの話術、ちがう世界へいざなう力、声色、明るさ、ハイトーンと陽気な良さが、ビンビン伝わってきた!

この明るさ、華のある感じ、こうしたものが、教師にも必要なのだろう。

得難い、春の休日のCD鑑賞であった。




二十七歳になったときの子どもの姿を想像しよう




家に帰るとパパである。

パパであるから、わが子にいろいろと干渉する。

しかし、その時間がなかなかとれないことがある。

・・・ことがある、というよりも、常にそうなのだ。

定時に帰れる。

こんなにすばらしいことはない。

子どもが寝る前に、話ができる。

しかし、現状では無理だ。
学校という装置は、教師を無限のパワーの持ち主だと前提している。

授業研究をし、学級経営について悩み、なんとかいろいろな手を打とうとする。
その営みがある中で、あれやこれやと雑事が多すぎる。
(雑事、と言うと、叱られそうだ。)

夜中に帰ると、子どもはすでに寝ている。
だから、夕食時間に、わが子と話す、ということすら、できないのが現状だ。

最近、本やで見つけた本の題名。
「頭のいい子が育つ、パパの習慣」

本の帯に、「子育てを終えたパパは読まないでください。後悔します」とある。

チラチラと目次をめくって立ち読みした。


そこに、二十七歳になったときの子どもの姿を想像しよう、とある。

とても印象に残った。
詳細は、また後日。




いたずら




私は卒業式予行練習のスタッフになっていた。
放送全般。
6年生の練習に、しっかりとつきあわなくてはならない。
そのため、2校時は自習とせざるを得なかった。

教科書をうつしたり、ノートまとめをしたり、児童はやることがたくさんあった。
プリントだって、やることになっていた。

しかし・・・。


どうやら、クラスの大半がこのいたずらに加担したらしい。
教室がおばけやしきになっていた。
画用紙で切り取った、おばけの数々。
たんねんに、クーピーで色塗りされたおばけが教室のいたるところに貼り付けられた。
リーダーは、男子のSさん。
それに、女子の実力者、SさんやTさんも加担。
クラスの大半がそれにひきずられ、作業に加わったようだ。


私が教室に入ろうとすると、ドアの開き具合に違和感がある。
少しひらくと、もうすぐで切れそうな輪ゴムが足もとに見えた。

あ、と思う間もなく、それがぶちっと切れて、
同時に目の前に、

がびょ~ん


という感じで、紙でつくった骸骨が飛んで現われた。


思わず私がびっくりして、のけぞりそうになるのを見て、みんな大笑い。

そして、口々に、

「おれが骸骨つくった!」

「本当は黒板消しでやろうと思ったんだよ」

「ゴムちゃんと切れたな~」

「黒板見て!!」

と言い始める。


まったく、3時間目は最後のテストだというのに・・・!
怒る気力が失せて、とにかく教師の中に足を踏み入れると、

「先生、ありがとう!」

と黒板にでかでかと書いてある。
そして、教卓にはまた、

「あ」と「り」と「が」と「と」と「う」

のそれぞれの文字の形に切り取られた紙が貼り付けてあるのが目に入った。

これだけ、切り取るのも大層な作業であったろう。
それが、急いで塗られたらしく、色ペンで赤や緑や黄色にそれぞれ、塗られている。
ぐちゃぐちゃだ。
この仕事は、男子の分担と見た。


ともかく、教卓の前に立って教室をみわたすと、そこらじゅうに紙がちらばり、はさみとのりとセロテープのすごいこと。机上に教科書をのせている児童はほとんど、見当たらない。

「自習、ちゃんとやってたのか!」

ようやく、その一言で、片付けが始まった。


Fさんがが、

「おれはやってないんだのに・・・」


と言うのを聞いて、


「やってなくても、片付けろ!」

と慌てふためいたKさんが、自分も片づけながら言うのが可笑しい。


あれこれ、言いたくなったが、ともかくもテストの時間にする。

いたずらが、こどもたちの力を示すとしたら、4年生としてはまあまあ、だ。
輪ゴムがきちんと切れて、思い描いたとおりに、骸骨が飛び出てきたのだから、よし、とすべきだろう。
あとは、それを盛り上げるための、教室中のディスプレイ。マンガやゲームのキャラクターのようであったが、一つ一つ、みんなで声をかけあって、一体ずつ作りあげ、それを間隔をあけながらきちんと貼ってある。

どんな相談があったのかわからない。
この子たちが仲良しでなければ、こういったこともできないのだろう、と思う。
これもひとつ、学級を名残惜しむ心のあらわれ、なのかと思うことにした。




女子のトラブル解決には車座を




よくある話、らしい。
クラスの女子ボスの、座がいれかわりそうだ。

春先から頭角を現わし、2学期からは独走態勢に入っていたクラスの女子ボス、Sさん。

強い口調で男子女子問わず、いい負かすことが日常。
すべて私の意見が通り、私の言いたいタイミングでみんながだまり、私の味方になるような発言が多くなる。
追従する女子がほとんど。

そのボスの座に長く君臨し続けた、Sさんが、思わぬ展開の中、苦しんでいる。


ナンバー2に甘んじていた、Tさんが、何人かの仲間を引き連れて、Sさんを孤立させようとしたのだ。
数回、トラブルが続いた。
それも、これまでであれば、数日間の冷戦を経て、自然と解決されていたのが、今回はちがった。


Sさんが、顔を隠して、泣いていた。
一番後ろの席で、みんなにはわからない。
隣の席の男子だけが、困惑した表情をしていた。

Sさんの様子がおかしい。

プライドがあるから、みんなの見ていないところで、給食と掃除の時間の切り替えの、忙しいさなかに、ひょい、と声をかけた。
うまいことに、教室の隣の小部屋がある。
そこにちょっと呼んで、どうしたの、と声をかけると、大粒の涙。

トラブルがあり、なんともできない、という。

教師がアドバイスをすると、
「先生が言ったから、こうなった」と、結果に対する文句をいいがちな子である。
アドバイスっぽくないように、アドバイスをすることにした。

「どんな気持ち?」
「どんなこと考えてる?」
「なにに一番困っている?」
「本当はどうしたい?」
「本当に、あなたの本心がねがっているように、解決できるといいねえ」
「今回のことには、どういう背景があるのだと思う?」
「どうしていく?」

ただ、きいていく。
そして、回答をオウム返しにして、受け止めていることを伝える。
気持ちを否定せず、そう思っているのか、そうか、と受けていく。

で、どうするか。
解決していきたい。

じゃあ、なにができるか。
どんな小さなことでも。
なにを思いつくか。


順に聞いていくなかで、とにもかくにも、私(Sさん)がさびしい思いをしていることと、解決したいのだという気持ちを、Tさんのグループ全員に聞いてもらうことにした。


場所を設定する。
そして、時間帯。
学校の、限られた、設定された時間枠の中で、やりくりするには・・・。


隣のクラスの先生に、みてもらう時間を無理やりつくって、クラスを任せた。
私は別室、特別教室を確保。
イスのある部屋でなく、じゅうたんの部屋(ホール)を、教頭先生に言って借りた。

こういうとき、話のはやい教頭先生でよかった。
いちいち、いろいろと聞かれない。
こっちの顔だけみて、「わかった。だいじょうぶか」とだけ、聞いてくれる。
(上司の鑑です。)


朝からこのことで文句を言っている、Sさん以外のTさんらのグループを呼んで、15分ほど話す。
彼女たちからも、
「解決したい」
という声を聞きだす。

それならば、と

「じゃあ、あなたたちが、Sさんを呼んできたら」
とつきはなす。

「先生が呼んでよ」

解決したいのでしょ。

「わかった」



Tさんたちの中の一人が、Sさんを呼びに行った。
しばらくすると、Sさんが部屋に入ってきた。

私は、光の入ってくる、窓ガラスを背にしてすわった。

用心のため、である。

Sさんが端っこの方にすわったので、

「きれいな○マルになろうよ」

と言って、車座をつくった。

私も含めて、きれいな車座ができた。


結果をいうと、あれこれと話すうちに誤解がとけて、あれよあれよ、と解決していった。

Sさんではなく、Tさんグループの中でも内輪もめが起きたりして、話があちこちにとびかけたが、それを修正し、交通整理するだけが、教師の役目であった。
たまに、

「最後まで言わせてあげて」(わりこみ発言に)

「本当にねがっていることは何か、考えようよ」(軽く考えている子に)

「本当にそれでいいのか」(同じく、軽い子に)

「表裏のある発言でなく、ここは正直に言おうよ」

というようなことを言った気がする。


今回学んだのは、女子のトラブル解決に、車座が、いい、ということ。
円になって、お互いの距離も等しく、対面意識も生まれにくい。
敵味方、という分かれ方にもならない。
お互いに、ひとりひとりが、じっくりと考える、という空気が生まれやすい。

とくに、今回のような女子の複数人がかかわるようなトラブルについては、車座がよいのではないか。
イスではどうかわからないが、じゅうたんの上で(本当は畳の方がさらに良いのでは)、姿勢を変えやすい。相手の顔を凝視しなくてもすむ。じゅうたんの上を見ていても、ヘンな感じがしない。実際、Sさんは、最初はうつむいて、じゅうたんの上ばかり見ていた。しかし、それが、暗い感じがしなかった。イスであれば、ずっとうつむいている格好は、なにかしら、よわよわしい感じを醸してしまうのではないだろうか。

Sさんは、だんだんと発言するに従って、目線があがり、いろいろなメンバーの顔を見たり、発言する子の顔を見たりできるようになっていった。

最後、人間関係をリセットし、お互いに初めての友達のような態度となって、これまでの過去をすべて水に流して、仕切り直してやっていくことになった。




新刊「教師と子どもの読解力を高める」




ついに新刊が出ました。
岩下修先生。
わたしの恩師です。

名古屋市立筒井小学校で、岩下先生は子どもからも父兄からも一目置かれる方でした。
ピカドンの授業で、ずいぶん子どもたちを鍛えていました。
また、朝の朝会では必ず
「チポリーノの冒険」や「森から森へ」を歌わせ、それがまた全校の迫力ある大合唱となって体育館や校庭にこだまするのが常でありました。

その岩下先生がある時、著作をだされた、というのが、今から25年ほど前の、ある日の授業参観日の、父兄のもっぱらの話題でした。
それが、名著「指示の明確化で授業はよくなる」です。

もう、岩下先生は著作を出されないのかと思っていましたら、つい最近、明治図書のWEBページでランキング入りされているのです。まさかと思って確認しましたところ、なんと、新刊!!!


4年生で授業する、ごんぎつねについても、さらにくわしい分析と研究がされているようです。
おすすめです!!




すさむ言葉づかいと学級




「てめえ!」

「・・・っつってんだろ!このやろー!」

「うっせー、バカ!」


こういう言葉づかいをしているA子。


A子は、生まれつきこうなのではない。
言葉づかいを、どこかで学習をしている。
兄弟か、それとも親か。
あるいは家庭環境による学習なのではなく、友人か、兄の友人が言っているのを聞いているのか。

A子が他の子とトラブルが多いことで、何度も考えてきた。
職員室で、他の先生とも相談をした。
心理士の先生にも尋ねてみた。
本も読んだ。

4年生がもうすぐ終わる。
この学年を終える。
修了式を目前に、どうしても、私の心がすっきりしない、曇った一点がある。
A子の表情と言葉づかいだ。

この子に、担任らしい、なにか指導をしてやりたい。
一年間培った、お互いの関係を信じて、なにか心に届く指導をしてやりたい。
何度も、トラブル解決をしてきた。
お互いに、話し合ったことも何度もある。
素直に、話してくれたこともある。

ただ、この言葉づかいに関しては、なんともなっていない。
急に、切れたようになって、
ものすごく荒れた言葉づかいをする。すさんだ、心が見えるようだ。
発達障害もある。
しかし、だからといってこれをやめさせないわけにはいかない。
なんとしても、他の人といっしょに、くらしていける人になってもらわないと。
これでは、他の人に拒否されてしまう。


「うっせー!」
「うぜえ!」
「だまれ!」


こういう言葉づかいで、他人が恐れるのを感じている。
「こわいな」と思ってもらおうとしている。
相手の、平常心を失わせよう、と心の底で考えている。

A子は、いつからこのようなことを、学習したのか。
A子は、いつから、こうしたことを、「楽しみ」だととらえるようになってしまったのか。

そして、こういうことを、楽しみにしていく心の背景に、どんなさびしさが隠されているのか。


4年生の後半。
いろいろな成長の結果、どうしようもない現実が見えるようになってきている。
敏感に、なにか、他の人とのちがいを感じ始めている。
授業が分からない、ということについても、以前よりもなにか、深刻な受け止めがあるのだと思う。
すさむ言葉。
やくざの言葉づかい。
しかし、やくざでも、えらい人はこんな言葉づかいにならないのだろう、と推測している。おそらく、ちがう。えらい人は、他のことで十分満足できるから。

チンピラなのだ。
もっとも、他の楽しみが見つけられず、自分の活躍が感じられないから、他をおそれさせ、他人の平常心を失わせることが、自分のほとんど唯一の楽しみになってしまっているのだろう。

A子。
A子の、行動の幅を広げてあげること。
活躍の場を与えてあげる。
そして、元気がたまるように、働きかける。
その連続でしか、A子の表情をやわらげることはできないのだろう。

あと14日間。
声をかけつづけるしかない。




公務災害を校長に叱られた時の対応




児童になぐられて怪我をした

保健の先生に相談

事務の先生に相談

学年主任などの先輩と共に管理職へ届け出る

校長に反対された場合は、組合にかかわりのある先生と相談

本人が組合の執行部に相談




そのときのたちどころ、拠り所としては、

「指導中の事故であり、公務災害は事実。その事実をねじまげてはいけないのではないか」

という当たり前の一点。
その一点で、主張をすること。

考えられる「向かい風」は、以下。

○膨大な手数をかけた事務処理があること。
→「今の忙しいさなかに、そんな事務処理をさせて、管理職等に負担をかけるのは非常識だ」

主張すること⇒<非常識であっても事実は事実であり、その事実をねじまげたり無視をしてしまって本当によいのか>



○児童のせいであることが明白となってしまうこと。
→「児童を守るのが教師の務めである。その児童を、責任を問われるような立場においてしまってよいのか」

⇒<たとえ児童に責任を問うことになってしまっても、事実は事実。事実は事実として対応しなければ、事実を軽視してよいとの誤解を与えることになってしまうが、それでよいのか>



○そもそも担任のせいであること。
→「指導中に起きた事故である。その指導が悪かったのであり、指導の責任は担任にある。事故の責任は担任にもあるといえるのに、児童のせいになってしまうような手続きをしてよいのか」

⇒<指導が悪かったとしても、暴力があったのは事実であり、そのために怪我をしたのは事実である。事実は事実として処理したうえで、指導の是非を考えていくべきである>



以上は、組合の先生に教えていただいたアドバイスである。

「事実を無視しないで、当たり前に進めることだと思うよ」

とのことであった。

上記は、わが校の、組合に加入されている先生のアドバイスである。

「こういうときのために、個人では闘えないから、組合に入っておくのよ」





指導中の事故を公務災害とよぶのであるから、当たり前のことであるが、それがいろいろと、いろいろと、・・・・本当にいろいろと他の考えを加味され、注文をつけられて、公務災害でないようにさせられてしまっているようだ。

今日は、一昨日の投稿で書いた、初任仲間の悩みについて、いろいろと考えさせられた一日であった。
いろいろと私なりに情報を収集し、困っている彼女に上記の内容をメール送信したが、残念にも彼女は組合には入っていなかった。
かくいう私も、まだ組合には未加入である。

組合に入ると、組合費がかかるし、なんやかんやと会合がある。
なんだか面倒くさいな、という認識でいたが、こういうような事件を間近にして、さらに困っている人が救われない状況を知ると、

組合か、そろそろ

という気になる。




殴られた怪我は公務災害になる?




初任研仲間の一人が心配だ。

児童に殴られて、腕と肩の骨を痛めてしまった。
休日に病院へ行くと、骨がずれている、とのこと。
痛みがあり、黒板にチョークで書くことができない。
必要な高さまで、腕をあげると、強い痛みがあるので、できない、という。

公務災害になるのではないか、という他の先生からの声かけがあった。

初任である。
なにもわからない。

「コームサイガイって、なんだろう」
と思いながら、校長室に行って、コームサイガイになるのでしょうか?
と聞くと、

「馬鹿なことを言うな。生徒の身を守ることが教師の務めだ」
と怒鳴られた。

よく意味がわからないが、叱られたのが納得いかない気持ちで校長室を出てきたそうだ。



そのくだりを聞いて、その暴力をふるった児童に対して、暴力は犯罪なのだということをしっかりとわかってもらった方がいいのではないかと考えた。
先生はいくら殴ってもよい、という認識で、本当によいのだろうか。
異常なことをやってしまったのだ、ということを、指導しなくてよいのか?

他の学校の初任者仲間であるので、私としては「聞いた話」になってしまう。
それでも、上記のことを同じ学校の先輩に話すと、

そりゃ、大問題だろ!!!



とのこと。

新潟県のある町では、同じような事件があり、被害を受けた教師の「公務災害にしたい」という希望を校長が取り下げさせて、うやむやにしようとした事件があったそうだ。
しかし、それは通例、学校が町の教育委員会へ報告するのが義務であるらしい。
また、町の教育委員会はそれを県の教育委員会へ報告するようになるらしい。

このあたり、「・・・らしい」ばかりですみません。
法律ではどうなっているのでしょう。

ともかくも、わたしの友人の初任者は、

「もう暴力振るわれるのは嫌だし、病院も行かなきゃだから、できるだけ年休で休みます」

とのことであった。


なんとも、やりきれない話です。
公務災害であれば、なんらか、彼女に対しても、フォローやサポートがあるのではないかと思います。市教委も大きいのですから、人事などにも手を加えて、なんとか、支援ができるのではないかと思うのですが。

公務災害でなければ、ただの怪我ですから、個人の負担で、個人の年休を使って、病院通いをするだけです。また、記録にも残りませんから、同じ職場に何らかの支援がはじまるわけでもなし、人事のサポートもなし、来年度4月からの人事や配置に配慮されることもないのでしょう。

なにか、ヘンですね。
人間の知恵があれば、もっとなにか、みんながよくなるようにできるはずだと思うのですが。

それよりもなによりも、その暴力児童に、厳しい指導が必要なのに、その機会を逸してしまうように思います。
これまでも何度もしかり続けてきた猛者なので、教頭が別室に呼んで、二度としないように厳重注意をしたそうですが、それくらいでは・・・。

上記の話のあと、

「別室に呼んで個人的に厳重注意した、というけど、そんなことなら、100回やってきたの。暴力振るうな、というのも、100回を超えるくらい、言い続けたのに、こんなことになったのだから、やっぱりそれ以上の指導をしなくちゃいけないと思う」

彼女の弁である。

やはり、公務災害にした方が・・・

どうなんでしょう。




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