困らない叱らない。新間草海(あらまそうかい)の教室日記

漂流する人生からつかんだ「困らない」生き方とは。
転職を繰り返し、高卒資格のまま小学校の教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

2007年09月

フィンランドを舞台にした、映画「かもめ食堂」を見た。静かな雰囲気が、ずっと続く映画を、ひさしぶりに見た。テレビ自体をみることが、ひさしぶりだったから、とても新鮮だった。見終わった後、なんとなく姿勢を正したくなった。毎日、毎日、やることがある。それを、 …
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国語の授業は、ほとんど毎日ある。そして、その国語で、かならずあるのが、漢字だ。だから、漢字が好きな子は、幸福だ。なぜなら、毎日、漢字学習があるからだ。毎日行うお勉強が、好きなのだ。これほど幸福なことはない。逆に、漢字を苦手だと意識する子は、毎日がつら …
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メモ帳の活用について。メモ帳といっても、ただの紙だから、どんなことも書き付けることが可能だ。数字、記憶しておきたい時間、段取り、どんなことも書く。しかし、必ず書いているのが、「やること」だ。明日、二~三日中、一週間以内、一ヶ月以内、期限は色々だが、内 …
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30代で子持ち受験者の私には、ホッとできるところがない。居場所をつくらねばならない。家に帰ると、ホッとするが、子どもの遊び相手になる必要がある。ふだんはそれでもいい。わが子を見ているだけで、元気をもらえる。しかし、心底くたびれた、大きな行事を成し遂げ …
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養老孟司さんの講演会を聞いた。8年ぶりに、極端な知的興奮を得ることができた。というのは、8年前にも、脳について同じようなことを考えたことがあったからだ。さて、講演会だ。下記は、覚えていることのメモである。(メモをとらず、覚えていたことを思い出して書く …
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4月は多忙だ。新学期、あたらしい先生、あたらしいクラス、様々な行事が重なる。4月は、他の月の2ヶ月分、忙しい。この4月を乗り切り、5月のゴールデンウイークをすぎても、なおかつ、忙しい気分が抜けない。特に、講師1年目はそうであった。受験が近づいてきてい …
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受験に、小論文がある。日ごろ、論文のように、論説や理論の有る文章を書く機会は、あまりない。といって、日記のように、論というのではないが、ストーリーがある文章を書いているわけでもない。日常書いているのは、週案簿や授業記録メモ、手帳などのメモ類だけだ。そ …
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食育の重要性が叫ばれている。私の育った家庭は、朝ごはんをしっかりと食べる家であった。朝の5時には、台所でガスの火をつける音が聞こえた。母は、味噌も自分でこさえた。梅干しもつけた。昭和の時代の、典型的な母であった。ところが、私は20代で、農業に携わって …
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朝がダメなら、夕方だ。夕方、仕事に一段落つけてから、職員室で受験勉強をしようと考えた。しかし、それは無理だった。目の前に、仕事が山積みである。他の先生が、いろいろと仕事のことで話しかけてこられる。それはそのときにやっておかないと、忘れてしまうことばか …
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採用試験を受験する際に、迷う人が多いと思う。受験に専念するのか、それとも、学校で講師として勤務するか。私自身は、悩むよりも先に、家族を養うために働くことが前提であった。しかし、もし自分に家族がいなくて、収入も無くてよい、という環境にあったなら、どうだ …
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採用試験のことで、周囲の方から、いろんな質問をされる。私が免許無し、妻子もち、の身で、小学校教員資格認定試験や採用試験を受験したことから、一体どんな勉強法でのりきってきたのかを、知りたいというのだ。知人、教育実習生、いろんな関わりの方が、来年度受験予 …
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子どもたちが、長いキャンプを終えて帰るとき、迎えに来た親たちと、にぎやかに帰り支度をする様子が見えた。少年たちは、夏休みを終えても、学校が始まっても、同じようにエネルギッシュに育っていくことだろう。残念なことに、その一部始終を映画のように見てみたいが …
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コースケは、徐々に薮の茂みの奥の方へと歩みを進め、だんだんと見えなくなりつつあった。僕は、声を張り上げて、聞いた。「コースケ、釣りはどうするのーっ?」コースケが、何か、大声で返事をするのが聞えた。「なにー?もういちど、言ってー!」僕は、もう慌てて竿を …
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僕はプロ野球のピッチャーにあこがれていた。ジャイアンツの新浦投手や、堀内投手が投げていた時代だ。あの頃は、草野球でゴムボールを投げながら、自分たちはプロ野球の世界に、こうして近づいているんじゃないか、と思ったし、グローブを磨いているときなんかは、明日 …
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池は、しんとして広がっていた。風が吹くと、山の木の陰が水面に映って、ゆらゆら揺れるのが見えた。大きな池には、釣り人は他にいなかった。コースケが、大きな竿をぶんまわして、浮きを投げ入れると、浮きは、ちゃぽんと音を立てた。僕は、たいしてすることがなかった …
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僕らは、村のおじいさんのところに、竿を借りに行った。おじいさんは直前まで昼寝をしていたらしく、よぼよぼとおぼつかない足取りで玄関に現れて、「なんじゃいな?」と、珍客を前に、ぼそっとつぶやくように言った。「釣りに行くんです」僕は、できるだけ元気に、快活 …
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コースケは、飲み干すなり、「兄ちゃん、釣りに行こうよ」と言った。どうも、釣りが大好きらしい。沖縄の小浜島に行ったことがあり、海釣りもしたんだ、と得意そうに話しはじめた。「スズメダイを釣ったんだ。ミノカサゴも釣れたよ。カジキマグロなんて、すっごく大きい …
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僕は、やりかけの仕事があったので、コースケを連れて職場へ戻った。キャンプでは昼寝の時間を設けている、と聞いていたので、コースケにも確認したのだが、昼寝をしたいかどうか聞くと、「ねるのは、つまんない」と、首を振った。僕が職場でやりかけの仕事をしている間 …
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当日。昼前になって、キャンプ会場へ迎えに行った。僕の姿を認めると、キャンプの世話係の方が、「はい、コースケくんは、このお兄ちゃんとマンツーマンです」と言った。コーケくんというのは、どの子なんだろう、と思っていると、小学校二年生にしては背の高い、利発そ …
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コースケは、夏休みのキャンプに来た子どもだ。これは、今から10年ほど前の、夏の出来事だ。私は当時、農場で働いていたが、村のキャンプ場を訪れた子どもと、出会いがあった。まだ教師をめざす前のことだ。今ふりかえってみると、この頃から、子どもの成長に関わろう …
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「人間の考えは常に変わり得るもので、その都度、違ったり変わったりするのが当然で、固定できるものではないから、自分も人も誰の考えや行いも、良いともダメともしないで受け入れていけるのです。」真の討論をやりたい。勝ち負けのない討論、最後のない討論、ずっと「 …
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自分は幸運なことに、20代の大半を、田舎で過ごしていた。いちぢくの木を間近に見る暮らしだった。牛のうんこを掃除する体験も、ある程度、積んだ。牛に小便をひっかけられそうになり、慌ててよける技術や、牛が便意を催した瞬間の気配までも察知できるようになった。 …
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以前、福井県の若狭湾海岸で、ロシアの船から重油がもれた事件があった。おびただしい量の重油が流れ、その回収作業がさかんに行なわれた。朝日新聞の記者は、その様子をこう記した。「重油はまるで、牛の糞のように、岩にべっとりくっついて容易に剥がれない」これは、 …
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遠足で牛を見た、という子どもは大勢いる。生活科が導入されて以来、そうした生活に密着した学習機会は多くなる傾向にはあるようだ。しかし、その中身は空疎なものらしい。文字どおり、「見た」だけ、なのだ。牛は黒色と白色だった、ということまでは分かったが、そこか …
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自分は、自然体験・生活体験といったものに、まるで乏しい子どもだった。第一、いちぢくが実をつけて、木になっているところを見たことがなかった。畑の土をさわったこともないし、果樹園も家畜も、身近な存在ではなかった。柿の木は見たことがあった。また、たとえばリ …
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高校は郊外にあった。付近には地下鉄の大きなラインが走り、高速道路にも接続する地区で、車の交通量はかなり多い。一帯は、大きなマンションの立ち並ぶ新興住宅地だった。私は、箱の中を困惑した表情でみていた。窓からさしてくる昼間の太陽に照らされて、赤く半透明の …
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高校生の頃。お昼休みの、なにかホッとするような時間をすごしている時、クラスの女子の一人が、「これ、食べて。家でたくさんとれたの」と何か箱のようなものを、私の机まで持ってきた。これ、と見せられた箱の中を見ると、なんと、真っ赤ないちぢくである。私は、それ …
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子どもの幸福を、本当にみることができるから、いつもゆるがない人がいる。淡々としている。事態の変化にも、悠々と対応している。逆に、よいなあ、とみんなが見ているときにも、(あっここ!)と注意を喚起できる。(S小のSさん)幸福とは。子どもの心が分かるようにな …
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本当の本当は・・・、といったって、本当がすぐにみえるわけでない。ただ、簡単なことならいえる。ねがっている、ということがある。自分は何を、ねがっているのか、ということ。いつも、そこに立ち還ろうとしている。自分の本心は、本当は、何をねがっているのか。「何 …
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現代人は毎日、足りなさを指摘されて生きている。栄養が足りない、ビタミンが足りない、能力がない、パワーがない、無神経だ、感性がとぼしい、余裕が無い・・・。だから新しい栄養剤が流行するし、新しい感性のファッションが拍手をもって受け入れられる。たえず、どこ …
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