30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

We are the 99%。転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

2006年04月

校長先生教頭先生への態度




校長先生、教頭先生に対しての言葉づかいが、やけに丁寧だな、と思うことがある。他の先生とは明らかにちがう。無意識のうちに、そうなっている。
おはようございます、というときの頭の下げ方も、ふりかえってみると角度がちがうような気がする。
それを他の先生になんとなく教えられた。

「先生は、校長教頭にすごくていねいだよね」

会社づとめだったときの上司と、校長先生がなんとなしに雰囲気が似ている。そのためだろうか。
以前の上司にはとことんお世話になり、家族ぐるみのつきあいまでしていた。それで、自分にとっての上司のイメージが、他の先生が抱いているものとちがうのかもしれない。

その後、気になって観察していたら、自分より年下の(といっても経験はずっとある)先生が、とてもフランクに校長に話しかけていた。ほとんどタメぐちである。これは自分にはおそらくできない。それを拒むもの、身体にしみついてしまっているものがある。
学校を出てからの10年、というのはなにか、ある特別な日常の型を、身体にしみこませた期間だったようだ。




教師は教室のどこに立つのか




4月から本格的に担任として教室にたつようになった。
朝から帰りの会まで、ずっと子どもたちの前に立っている、ということが、こんなに大変か、と改めて思う。
ずっとみんなに注目されている、ということ。
一挙手、一投足、というけれど、本当にそうだ。せりふの一つ一つが、ぜんぶ子どもたちに吸収されていくのだ、と思うと、緊張がつのる。

それでも、子どもたちは明るい。
内心あせっていても、ちゃんと待っていてくれる。申し訳ない、と思う。
そう思いながら、急いでプリントを探したり、机の上の赤えんぴつを探したりしている。
準備、準備、準備が大切。そう言い聞かせながら、どこまでも完全な準備などできない。

読み聞かせをした。
生活の時間で、予想より早く作業が終わってしまった。
子どもたちが、ダレはじめるより早く、机の上をしまわせて、とっさに読み聞かせをした。
本棚から一冊をとりだし、読み始めた。

読んでいながら、だんだんうしろにさがった。教室の左右のはじ、一番前に座っている子が、くびを傾けている。上半身を下げ気味にしている。見えにくいのだ。

あっ、と思って、うしろにさがる。
とうとう黒板に張り付いた。

そのまま読み続けた。
とうとうたまらず、「Yくん、それからAくん、みえる?」
と聞いた。

物語の世界が、それで一瞬、くずれた。
YくんとAくんが、うなずいてくれた。
すぐに物語の世界に引き戻す。

あとで、先輩に尋ねた。立ち位置について、である。

読み聞かせのとき、教室の角のところで読む、と聞いた。
そうすると、教師は、90度の角に挟まれる。
90度の視野のなかに、みんなが入れる。

そうだったのか、と思った。
ささいなことだが、このことに、教師の意識が顕れている。




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