問いを、ともかくたくさん出してみる。
これが、トレーニングになる、と多くの先生たちは考えます。
例えば「将来、自分は何がしたいのかな」と、考えることがあるとします。
この問いに対して、
では、考えましょう!
と、いきなり進めるのではない。
その辺が、どうやらポイントになりそうです。
「将来、自分は何がしたいのかな」
これを考えるために、考えやすくなるような作戦を立てよう。
というのが、常套手段です。
この問いに迫るための、いわば、ロードマップを計画します。
大きな問題をいきなり考えるのでなく、以下のような中くらいの大きさの問題を、考えてみましょう。
例えばですが、
【問い】ぼくの性格は?
【問い】僕が3歳の頃、夢中になったものは?
【問い】好きで得意なものは?
【問い】好きだけど苦手なものは?
【問い】これから10年後の社会はどうなってると思う?
【問い】自分の中で、誰かの役に立ちたいと思う割合は、10点満点で何点?
など。
いろいろ、考えてみよう、とするわけです。
つまり、大きな問いしかつくれない人と、さまざまな、それに近づいていくための中くらいの問いをつくれる人、さらに細かい問いをたてられる人とでは、得られる情報が、当然ながら違ってくる、ということです。
なので、国語でモチモチの木を学習するとき、大きな問いとして、
というのを、クラスみんなにアンケートを取りたい、という子がいたら、それを大きな問いと考えて、中くらいの問い、小さな問い、として、どんどん子どもに出させる。
すると、
【問い】この物語はハッピーエンドだと思うかどうか。
というのが、意見として出てくる。
好きか嫌いかをいきなり答えようとする前に、ちょっと待てよ、そもそもこれは良い話なのか?そうでもないのか?・・・。どっちだと思う?ということが、気になるわけです。
豆太が臆病を克服して強くなった、とは書かれていない。
最後はこれで、めでたし、めでたし、だと言えるのかどうか?
豆太はせっかく勇気を出せたのだ。
真夜中に、医者様を呼ぶため、たった1人で半道もある麓の村まで、行くことができた。
であれば、お話の最後は、豆太が自分の力を信じ、勇気を持った少年となり、それからはもう二度と、じさまを夜中にしょんべんで起こす事はなくなりましたとさ、で終わるべきだ。
ここまで考えてようやく、
【問い】このお話が好きか嫌いか
について、意見が言えるのでしょう。
あるいは、こんな問いも出されそうです。
【問い】豆太は本当に臆病なのか
【問い】どうして作者は、最後に再び、じさまぁと豆太に言わせるのか
【問い】モチモチの木をなぜ豆太は一瞬しか見ないのか
のように、子どもがどんどんと謎を見つけていく。
それらを討論してからですと、どの子も自分なりに、この物語を、好き!とか、嫌い!とか言えるようになる。それも、根拠を持って・・・。相手を納得させる理由を、胸を張って言えるわけ。
図工の鑑賞授業の手法と似てます。
というか、おそらく、見方や考え方は、かなり共通点がある。
雪がキラキラ光る、満月の夜のモチモチの木を、ぜひ見てみたい、と子どもが思うようになれば、さらに学習は広がりますね・・・。ワタシ、自分が子どもの頃、ホントにそう思ったもの。
ちょっと理科の方角かもしれんけど。
これが、トレーニングになる、と多くの先生たちは考えます。
例えば「将来、自分は何がしたいのかな」と、考えることがあるとします。
この問いに対して、
では、考えましょう!
と、いきなり進めるのではない。
その辺が、どうやらポイントになりそうです。
「将来、自分は何がしたいのかな」
これを考えるために、考えやすくなるような作戦を立てよう。
というのが、常套手段です。
この問いに迫るための、いわば、ロードマップを計画します。
何がしたいか、【の前に・・・】
と考えるわけです。
大きな問題をいきなり考えるのでなく、以下のような中くらいの大きさの問題を、考えてみましょう。
例えばですが、
【問い】ぼくの性格は?
【問い】僕が3歳の頃、夢中になったものは?
【問い】好きで得意なものは?
【問い】好きだけど苦手なものは?
【問い】これから10年後の社会はどうなってると思う?
【問い】自分の中で、誰かの役に立ちたいと思う割合は、10点満点で何点?
など。
いろいろ、考えてみよう、とするわけです。
つまり、大きな問いしかつくれない人と、さまざまな、それに近づいていくための中くらいの問いをつくれる人、さらに細かい問いをたてられる人とでは、得られる情報が、当然ながら違ってくる、ということです。
なので、国語でモチモチの木を学習するとき、大きな問いとして、
【問い】この話が好きか嫌いか
というのを、クラスみんなにアンケートを取りたい、という子がいたら、それを大きな問いと考えて、中くらいの問い、小さな問い、として、どんどん子どもに出させる。
すると、
【問い】この物語はハッピーエンドだと思うかどうか。
というのが、意見として出てくる。
好きか嫌いかをいきなり答えようとする前に、ちょっと待てよ、そもそもこれは良い話なのか?そうでもないのか?・・・。どっちだと思う?ということが、気になるわけです。
豆太が臆病を克服して強くなった、とは書かれていない。
最後はこれで、めでたし、めでたし、だと言えるのかどうか?
豆太はせっかく勇気を出せたのだ。
真夜中に、医者様を呼ぶため、たった1人で半道もある麓の村まで、行くことができた。
であれば、お話の最後は、豆太が自分の力を信じ、勇気を持った少年となり、それからはもう二度と、じさまを夜中にしょんべんで起こす事はなくなりましたとさ、で終わるべきだ。
ここまで考えてようやく、
【問い】このお話が好きか嫌いか
について、意見が言えるのでしょう。
あるいは、こんな問いも出されそうです。
【問い】豆太は本当に臆病なのか
【問い】どうして作者は、最後に再び、じさまぁと豆太に言わせるのか
【問い】モチモチの木をなぜ豆太は一瞬しか見ないのか
のように、子どもがどんどんと謎を見つけていく。
それらを討論してからですと、どの子も自分なりに、この物語を、好き!とか、嫌い!とか言えるようになる。それも、根拠を持って・・・。相手を納得させる理由を、胸を張って言えるわけ。
図工の鑑賞授業の手法と似てます。
というか、おそらく、見方や考え方は、かなり共通点がある。
雪がキラキラ光る、満月の夜のモチモチの木を、ぜひ見てみたい、と子どもが思うようになれば、さらに学習は広がりますね・・・。ワタシ、自分が子どもの頃、ホントにそう思ったもの。
ちょっと理科の方角かもしれんけど。